野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

初心を貫き柔軟でいること(ちくごアートファーム計画2021の感想文)

里村さんとちくごアートファーム計画2021に出かけた。そこで考えたこと。これは展覧会の評ではなく、そこから野村が考えたこと。

 

九州新幹線筑後船小屋駅の前にある九州芸文館で藤浩志さんが展示をしているので、見に行こうと思っているうちに会期が終了に近づいてきたので、見に行った。九州芸文館は隈研吾の設計の建築の複合文化施設。たまたま同じ会場で福岡ベトナム交流展をやっていて、外ではベトナム料理のマーケットが出ていて、ここはベトナムかと思うほど、ベトナム語があちこちで飛び交う。フォーやちまきなどベトナム食も楽しむ。

 

で、展覧会が『ちくごアートファーム計画2021 はたらくアート』というもので、藤浩志、寺江圭一朗、LICCAの3組のアーティストによる展覧会で、それぞれが働くについての作品を展示していて、LICCAさんの作品では、観客が実際に少し労働をすることで、作品がダイナミックに動くもので、装置も影も美しく面白かった。

 

www.kyushu-geibun.jp

 

展覧会全体に対して、主催者や企画者による挨拶文や説明文のようなものを見つけられなかった。見落としていないと思うので、そうしたものはなかったと思う。なぜ「はたらくアート」というテーマになったのか?どういう意図でこの企画になったのか?さらには、それぞれの作家が「はたらく」と「アート」について、どのように考えたのか、などのことについて、説明がない理由はなんだろう?とも思った。

 

そうなると、さらに謎が深まる。ちくごアートファーム計画って何だ?ウェブサイトの説明によると、

 

アートプロジェクト『ちくごアートファーム計画』は、2014年度から九州芸文館(福岡県筑後市)を拠点に風土、身体、自然、精神性、心身の自由をテーマに取り組んできました。

 

とある。遡って調べてみると2014−2016の3年間は、筑後という土地とか環境へのアプローチが前面に出ていて、アートファームという言葉が使われた意味も理解できてきた。

www.kyushu-geibun.jp

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ところが、ちくごアートファーム計画2017で検索すると、何もヒットしない。2018で検索してもヒットしない。おかしいなと思い調べていくと、CHIKUGO ART POT2017、CHIKUGO ART POT2018と名前を変えていて、2017はKOSUGE1-16がディレクター、2018は中﨑透をディレクターにしていて、主催は相変わらず『ちくごアートファーム計画実行委員会』だが、少し方向転換があったのかもしれない。第2期と言ってもいいだろう。

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ところが2019年になると、また『ちくごアートファーム計画』の名前に戻っているが、企画のテイストは、また変わっている。これを第3期と呼んでもいいかもしれない。

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こうした過去7年の流れを経た上で、今年度は「はたらくアート」になったのだろう。8年間『ちくごアートファーム計画』を続けること自体、容易なことではないのは、とても理解できて、8年間継続していることに、真に拍手を送りたいと思う。と同時に、様々な要因があって、方向性の転換が行われたと思うのだが、初年度に掲げた『アートファーム』という理念を8年間曲げずに続けたら、この筑後という芸術農場に、どんな作物が実っていたのだろう?と妄想した。いや、ぼくが知らないだけで、既にこのアートファームから様々な収穫が実り、それは別企画として展開しているのかもしれない。そうした収穫があり展開があるから、新たなフェーズに企画が進展しているのかもしれないが、、、。

 

こんな問いが湧き上がってきたのは、自分自身がディレクターをしているアートプロジェクトなどでのことへの大きな参考になるからだ。初心を貫くことは本当に大切なのだが、初心を貫きつつ、プロジェクトのマンネリ化を避け、決して同じ層だけのプログラムにならずに常に新しい層に開いていくことを、実現できるか、という問題になる。ディレクターをしていく上で、自分の軸をしっかり持つこと、その上で固定化せずに柔軟性を持つこと。

 

こう書いたら、これって四股だと思った。相撲の四股は重心のバランスを鍛える稽古である。軸をしっかり保てれば、柔軟に相撲をとることができる。では、自分の芸術の軸をしっかり持ては、究極に柔軟な活動ができるはず。ぼくが柔軟性を獲得するためには、とことんまで自分の芸術の軸をしっかり持たなければいけないのだ。その軸は固定化されるための軸ではなく、自由になるための軸だ。自分の軸をしっかり見つけていこうと思う。

 

帰り道に八女の白壁の街並みを少しだけ歩き、山鹿の温泉にも入り、山鹿の芝居小屋八千代座の前にも行ってみた。