野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

筒井はる香『フォルテピアノ 19世紀のウイーンの製作家と音楽家たち』

昨日からオフで充電中。本来は、十和田市現代美術館に行っている予定だったのが、コロナで延期になったので、リラックス週間。自宅にて、楽器を演奏したり、本を読んだり、音楽を聴いたり、大相撲を見たり、四股を踏んだり、料理をしたりの充電の日々。

 

筒井はる香さんの著作『フォルテピアノ 19世紀ウィーンの製作家と音楽家たち』(アルテスパブリッシング)を読了。これは、非常に面白い本で、特に当時のピアノ製作はオーダーメイドだったようで、ユーザーからのニーズを反映して作っていた様子を当時の書簡から読み取れるのが面白い。また、ベートーヴェンの作風と楽器の関係についても面白い。ピアノソナタが初期、中期、後期と作風が変わっていくが、ベートーヴェンが実際に使っていたピアノの機構が変化が直接的に対応していると筒井さんは指摘する。

 

25年前に鍵盤ハーモニカに本格的に取り組み始めた時、野村にとっての鍵盤ハーモニカは、ベートーヴェンにとってのピアノだ、と言った。ベートーヴェンの時代に、どんどんピアノが改良された結果、ベートーヴェンの表現が変わっていったように、鍵盤ハーモニカの楽器が改良されることで、野村の創作する鍵盤ハーモニカ音楽も変わっていくだろう、と予言めいたことを言った。25年前と今では、鍵盤ハーモニカの性能は、若干変化していたり、以前にはなかった機種が現れたりしていて、それによってこちらの表現の仕方も若干変化してきている。ベートーヴェンがシュトライヒャー社に楽器の要望を伝えているように、もっともっと自分の色に染めた鍵盤ハーモニカを作っていきたい、と思う。

 

モダンピアノではなく、当時の歴史的な楽器でモーツァルトベートーヴェンショパンなどを演奏する試みは、近年増えてきている。そうした楽器で古典を演奏することで作曲の意図が浮き彫りになることも多いだろう。また、作曲者が実際にイメージしていた楽器の音色がどんなものだったのか、もピリオド楽器で演奏する利点だったりする。ぼくは、19世紀のフォルテピアノで19世紀の音楽を奏でることも面白いが、19世紀のフォルテピアノを21世紀のぼくの感覚で触ってみると、どんな音楽が立ち上がってくるのか、に興味がある。なかなか実現できていないが、ピリオド楽器を演奏する機会を作っていきたい。守山(滋賀)のスティマーザールで、19世紀のプレイエルのピアノを弾いたのはいい体験だった。

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オーストリアのクレムスでワークショップした時に、筒井さんにドイツ語の通訳をお願いしたのが懐かしい。あのフェスティバルを主宰していたジョーが今年逝ってしまった。懐かしいし、寂しい。この動画の中に、筒井さんの姿もあれば、ぼくやアナンの若い頃の姿もある。14年前かぁ。

 

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『わたしの身体はままならない: 〈障害者のリアルに迫るゼミ〉特別講義』(河出書房新社)は、時間のある時に開こうと思って読んでいなかった本だが、複数の著者が自分の体験を綴った短い原稿が並列されているので、手にとると一人、また一人と読んでしまう。それぞれの実体験が「リアルに迫る」語りになっていて、具体的な制度の話などというよりは、心の動きなどに焦点が当たることが多く、読み応えがある。「障害者のリアルに迫るゼミ x DOOR TO DOORプロジェクト」がもとになっているとのことだが、本の編者の名前も記されていないし、「障害者のリアルに迫るゼミ」と「DOOR TO DOORプロジェクト」の関係もよく分からなかったし、一人ひとりの原稿が面白いだけに、その背後の見えない部分の気持ち悪さが少し気になった。

 

熊本に住み始めて今日で4ヶ月。随分、この土地と家に体が馴染んできた感触。