午前中は、里村さんと熊本市内まで出て、島田美術館のカフェでランチ。
午後は、音まち事務局と打ち合わせ。さらに、通訳の方々と打ち合わせ。特に第2部では、日本語、英語、インドネシア語、タイ語の4ヶ国語が飛び交うので、通訳との打ち合わせ+リハーサルは重要。通訳のテンポをよくするために、ぼくが日本語をリズミカルに言って、通訳が入るきっかけを指揮できればいいということが分かった。通訳も音楽でありパフォーマンスの一部なのだ。明日の混沌の4ヶ国語入り混じる50名を超えるワークショップには、ドキドキする。7年前に『千住の1010人』を開催した時に、1010人で様々な楽器が混ざり合うアンサンブルがどうなるのか、想像できずにドキドキしたが、今回のオンラインワークショップも、本当に初の試みなので、ドキドキ。
でも、スタッフたちとも通訳の方々ともいいチームワークでやれているので、明日の開催が本当に楽しみ。
80年代、野村が大学生の頃、サウンドアートや現代音楽の会場で、何度も佐久間新とすれ違う。2014年 Anantを千住に招聘。『千住の1010人』を開催し、MemetとAnantを招聘。Anant作品でタイのダンサーと佐久間の舞踊もあり。1010人でのイベントを経て、だじゃれ音楽研究会が柔軟性と表現力が高まる。2015年 だじゃれ音楽研究会のバンコクツアーで、Anantと濃密な交流2017年 タイの東北部でカンボジア国境近くのYord宅に2週間ホームステイし、子どもたちと音楽創作。2020年 『千住の1010人 in 2020年』でAnant、Memet、佐久間さんを招聘の予定が、コロナで実施できず、『千住の1010人 from 2020年』と方針変更。2021年 『アジアだじゃれ音Line音楽祭』に、Anant、Memet、Chor Guan、佐久間さんを招聘。
夜、四股を踏みながら、20年前の911のテロを思い出す。京都女子大学の専任講師になった1年目だった(2004年3月には退職してフリーランスに戻る)。ダンサーの山下残くんと電話していた最中に、残くんが、「野村くん、大変なことやで、飛行機がビルにつっこんで」とか言い出して、言葉では全く理解できなかった。その後、銭湯に行って、テレビ見て、徐々に理解し始めた。翌日(12日)、河村めぐみさんの企画で公開練習というコンセプトのライブがあった。尾引浩志さんと思いっきり叫んでみた。その数日後、祈るような気持ちで、《DVがなくなる日のためのインテルメッツォ》という曲のエンディングを書いた。祈りたい。