野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

アイヌ音楽/台湾のタオ族の音楽/渡辺浦人の「野人」

アートコディネーターの里村さん、写真家の草本さん、新聞記者の岡本さんとの新年会。色々、話し込んだが、北海道での2週間のレジデンスの話をいっぱいした。

 

岡本さんが取材途上である京都帝国大学医学部が収集(略奪)したアイヌ人骨の話。かつて奪って、アイヌ民族に対して大和民族の優位性を研究しようとしたり、大東亜共栄圏単一民族というイデオロギーを立証するための研究に医学や人類学が利用された時代の負の遺産を、どのように返却していくか、という話。

 

一方、アイヌの芸能や言葉を絶滅の状況に追いやった強引な開拓/侵略の傷跡が克明に残る中、音楽を伝授された研究者の千葉さんは、自身がアイヌではなく倭人でありながら、伝承された音楽をどのようにアイヌに返していくかも、非常に繊細な問題だ。既に亡くなってしまった方々の歌声を記録し、さらには個人レッスンを受けて、生きた形で歌を伝授されている千葉さんは、アイヌ音楽を絶滅に追いやった倭人の子孫が、アイヌ音楽を歌うことは、アイヌ文化を搾取しているととられることになるのではないか、と真摯に向き合うと、素晴らしい音楽家であるにも関わらずアイヌ音楽かとして活動することには抵抗を感じて、表だって活動ができないでいる。

 

そんな中、渡辺浦人の交響組曲「野人」のことを思い出す。この曲のレコードを見ても、どこにも台湾の少数民族の音楽を引用しているとは、書かれていない。そもそも、「野人」という言葉は差別的な響きがある。1941年に作曲され、渡辺の音楽は日本だけでなく、上海など各地で上演されたという。当時の軍国日本と結びついていた。しかし、第1楽章のメロディーは、どうやら台湾のタオ族の音楽を引用しているらしいのだ。しかし、作曲家は、日本の音楽だとしか言っていない。台湾少数民族の音楽を日本の音楽と見るのは、大東亜共栄圏として台湾の少数民族も同一民族であり統合することを正当化する思想と繋がっているのだろうか?であるならば、2楽章や3楽章のメロディーも、ひょっとしたら、他の民族の音楽なのではないか?ひょっとしたら、アイヌの音楽も、ここに取り込まれているのではないか?そんなことを思い、渡辺浦人はなぜ「野人」を作曲し、この曲がなぜ何度も演奏されたのか?ぼくが小学生だった1980年になってさえ、小学校の器楽部がこの曲をコンクール出場の曲として選んだのか?音楽室に飾られる肖像画の中に、大日本帝国軍国主義と強い結びつきのあった山田耕筰があったのはなぜなのだろう?

 

2021年になっても、戦争の負の遺産が数多くあり、そこに一つずつ光を当てていく作業は、やっていけるのかもしれない。特にコロナ禍であるからこそ、そうした作業をする時間がとれるのかもしれない。

 

アイヌの話だけでなく、別府のことを始めとしたアートプロジェクトの話、ビル・エバンスの話、障害者の自立生活支援の話、などなど、いろいろな話をし続けた。

 

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