野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

JACSHA城崎レジデンス 二日目 映像作家からの返事

JACSHAの城崎レジデンスの二日目。

 

新型コロナウイルスは、人々が対面する機会を次々に奪っていく。そして、人と人の間に透明の壁がたくさん作られ、人と人の間にディスタンスができていく。人と人が出会うこと、人と人が交わり合うこと、そうした機会が次々に奪われていく。相撲とは、人と人が出会い、接触し、交わり合う行為で、裸で人と人が濃厚に接触しながら、お互いを信頼しながら、ぶつかり合い、技をかけ合う。その行為に、ぼくは惹かれてきた。音楽では、人と人は身体的には接触しないかもしれないが、人と人は同じ空気の振動を共有し、空気や音を介して、触れ合う。こうした困難な時代の中で、我々は、離れ離れになりながら、どうやって振動を伝え合うのかを希求する。「オペラ双葉山 竹野の段」とは、天の川で隔てられた織姫と彦星のような環境の中、創作が開始された。

 

PCR検査で陰性の証明を得て、JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)メンバーは、兵庫県豊岡市の城崎国際アートセンターでのレジデンスを開始したのだが、PCR検査の結果の連絡が遅れた鶴見は、陰性の報告を確認するまで我々と対面することができず、昨日は別行動となっていた。陰性が確認でき合流できた時、同じ空間で対面し時間を共有できることは感動的だった。

 

一方、出会える予定で準備してきた竹野小学校の子どもたちとは、会えなくなってしまった。だから、本日はビデオレターを撮影し、間接的にメッセージを届ける。朝から創作。メッセージを歌詞にして、歌を歌い、動き、四股を踏み、鍵盤ハーモニカを奏でる。この動画を見てくれるであろう未だ見ぬ小学生へ向けてのメッセージ。ついつい声が大きくなる。届いて欲しいという思い。

 

実は、20世紀に録音が普及し、音楽家はレコーディングスタジオに籠り、録音作品として音楽を発信してきた。レコード、CDなどの媒体で、聴衆はそれを聞く、という場を共有しない形で、音楽をする。だんだんレコードが作品となってきた中、その場で生じる音楽、共同体としての音楽、生きた生ものとしての音楽、そうした音楽を現代に生じさせる音楽の場をつくる。そういうことを、ぼくらはしてきた。

 

音楽にとって、録音というメディアが果たしたように、演劇にとっても、映像というメディアが生まれてきて、劇場で見る演劇に対して、テレビドラマ、映画などといったジャンルが、20世紀に生まれてきた。今回のレジデンスでは、滞在制作という過程そのものを映像としてドキュメントしていこうというアイディアから、映像作家の波田野さんが関わってくれることになった。そして、波田野さんと打ち合わせを続ける中で、単なる記録映像ではない形で、新しい作品をつくるような形での関わりをしていただくことになった。今回、ぼくらは、直接の空気の振動の震えを共有する音楽ではなく、映像や録音などを介して、違った場所と空気の震えや世界の震えを共有するための方法を開拓するための研究を始めるために、レジデンスをしているのかもしれない。

 

こんなことを書くのも、今日の午後、竹野子ども体験村で過ごした時間、空に虹が出て、日本海の高波に圧倒されながら、海と山に挟まれて過ごした光景とは、まったく違う絵を、波田野さんが撮っていた。映像によって切り取られた世界は、2020年の9月29日に撮られたはずなのだが、それは、ひょっとすると、大昔の竹野かもしれないし、何か全く知らない土地の景色かもしれない。そんな風景が見えてきた。あ、これは、ドキュメントを超えていく。ぼくらや竹野が持っているけれども、彼にしか見えない世界が浮き彫りになってくるかもしれない。小学生に送ったビデオレターの返事も待ち遠しいが、こちらが起こすアクションに対して、映像作家から返ってくる返信が、楽しみなってきた。

 

竹野の観光協会の青山さんや、誕生の塩の福田さんのお話を色々聞く中に、創作のヒントが山ほどあり、下り松荘衛門という江戸時代の力士の石碑を見に行ったり、盛りだくさんの1日。

 

鶴見幸代が高砂部屋中村部屋出羽海部屋のちゃんこを参照した特製ちゃんこをつくった合宿二日目。

 

鶴見幸代によるレポートはこちら

城崎レジデンス初日、二日目 お手紙相撲甚句 – 日本相撲聞芸術作曲家協議会 / JACSHA