野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

北斎、高砂、すみゆめ

本日、「すみゆめの七夕」by 北斎バンド@すみだリバーサイドホール、公開収録。

 

北斎バンド

 

竹澤悦子:箏

片岡祐介:木琴

元永拓:尺八

尾引浩志:イギル

野村誠:作曲

 

この編成、面白いんですよ。箏と木琴が短い音が出るリズムセクションでしばしば対になり、長い音が出る尺八とイギルがしばしば対になる。4人の音楽家は譜面に書かれた音楽も、アドリブの音楽も、どっちも素晴らしい味わい。北斎が次々に描いていったように、野村も次々に作曲していく多彩な音楽を味付けてくれる。

 

今日のコンサート、全曲、野村誠作曲作品で、この達人たちが野村作品を次々に見事に演じ分けてくれて、一曲ずつかなり魂をこめたり、神経を使ったり、繊細だったり、なかなか大変な仕事をやっていただき、今更ながら感激する。元永さんの尺八は透き通る高音から、気迫のムラ息まで痺れるし、尾引さんのイギルを聞くと頭の中が真っ白になってしまいそうになるし、片岡さんの木琴の安定感抜群だったり、繊細だったり、力強かったりするし、竹澤さんの箏の激しさや優しさにゾクゾクするし、もう作曲家冥利に尽きるのだ。本日の演奏の様子は、動画編集後に公開になるが、入江さん、二瓶さん、長屋さんという素晴らしいチームがやってくれているので、超楽しみ。

 

アンコールの即興は、譜面から解放されて自由形。最後は、ぼくも木琴を鳴らし、四股を踏んで、客席の手拍子も鳴り渡り、北斎バンドから「よいしょ」の声がかかる。コロナでディスタンスの客席で、みんなマスクしているけれども、なんだか会場全体が一緒に音楽を奏でるような感じで終わったと感じた。東西南北に一礼をして、蹲踞してお客さんに一礼した。本当に感謝。こうして演奏する場があることに感謝。ありがとうございます。こういう機会を全力で守ってくれた人々に感謝。

 

観客を80名入れるだけでも、本当に神経を使ったと思う。開場前に全部の椅子をアルコール消毒したり、お客さんの体温を測定したり、ぼくが気がつかないようなことだって、山ほど気を配りながらやっていたと思う。せっかく準備して、何かがあってはいけないから、細かい神経を使う。中止にするのは簡単だけど、中止にせずに何とかやろうとすると、現場では、本当に気配りすることがいっぱいになる。そんな中、ぼくたちが安心して楽しくコンサートができる環境ができたことに、本当に感謝。

 

そして、そこまで頑張ってよかったと思ってもらえるくらいには、公演が大成功で終われてよかった(ぼくの一人芝居はグダグダだったけれども、それを吹き飛ばすほどに、みんなの演奏が素晴らしかった)。

 

 これで、1月から準備してきた「すみゆめ」の野村関連の企画が全て終了。全力投球してやりきった手応えあり。

 

6月 新曲「初代高砂浦五郎」作曲

7月 4回のオンラインワークショップ

8月 一ノ矢さんとのトーク

    竹澤悦子さんによる「初代高砂浦五郎」初演

    新曲「Remote Tanabata 2020」作曲

9月 北斎バンドのコンサート

 

特に、すみゆめの荻原さん、岡田さん、それに大庭さんと、あーだ、こーだと言いながら一緒に作ってこれて、今日、本当にいい公演ができて嬉しかった。北斎バンドもバンドなんだけれども、この人たちも、気心の知れたチーム、バンドのようなのだ。4年前の2016年に、アサヒアートスクエアという本当に面白い場所が急に閉館してしまった。岡田さんや大庭さんは、アートスクエアで働いてきて、急に閉館になってしまって、これからどうするのだろうと思ったし、当時はメセナ協議会だった荻原さんもSRAP(すみだがわアートプロジェクト)に力を注いでいたのに、アサヒビールが急にSRAPをやめてしまい、どうするのだろうと思った。でも、この人たちは、そこでへこたれずに、「すみゆめ」を立ち上げ、アートスクエアやSRAPの火を絶やさずにやってきた。強い気持ちがないと、やり続けられないよなぁ、と心を打たれる。隣のアサヒアートスクエアとアサヒビール本社ビルを眺めながら、墨田区役所に連日通うと、そんなことも頭をよぎり、こうして浅草でこの人たちと一緒に仕事ができているのを奇跡のように愛おしく思う。また、来年度以降、「すみゆめ」が存続するのか、どうなっていくのか、ぼくは全然知らない。きっと、様々な困難があるに違いない。でも、熱い思いを絶やさずに、意地でも火を灯し続けていくために、一緒に道を切り開いていきたい。今回、中止にならずに実施できたことを糧に、次につながっていきますように。今回の公演やワークショップの動画などの成果物が、これから、墨田で色々なことを続けていくために、有効活用できますことを。北斎は、あと5年、あと10年生きたら、もっと描けるから、どうか100歳まで生きさせてくれ、と願っていた。ぼくたちのアートプロジェクト、あと5年、あと10年、続けさせてくれたら、本当にいろんな成果がどんどん出てくるから、どうか続けさせてほしい。北斎の思いが乗り移って、「すみゆめ」は続いていくのだーー。激動の明治維新を生き抜いた各界の革命児高砂浦五郎の思いを胸に、激動の令和を生き延びて、また、いろいろ一緒にやりたい。本当にありがとう。

 

北斎バンドとプチ打ち上げの後、京都に戻る。