野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

野見宿禰と當麻蹶速の相撲

今日は、旧暦の七夕。
 
今年は、「すみゆめの七夕」という企画に関わっているので、さすがに旧暦の七夕は相撲と七夕のことについて思いを巡らせようと思う。
 
日本書紀によれば、垂仁7年7月7日に、野見宿禰當麻蹶速が相撲をとったことになっている。気になったところは、以下の部分。
 
 
二人相対立
各挙足相蹶
 
 
という相撲自体の記述。「二人相対立」は、二人が相対して立つのだろう。兵庫県養父の「ネッテイ相撲」を思い出す。次の「各挙足相蹶」の、「挙足」はますます四股を連想し、「ネッテイ相撲」そのもののような気がする。問題は次の「相蹶」だ。うっかり相蹴ると読んでしまいそうになったが、「蹶」を字通で調べてみると、全然違っていた。
 
蹶(ケツ ケイ たおれる つまずく)
①つまずく、つまずきたおれる、かたむく
②くつがえす、やぶれる、くじく
③おどろく、すみやか、ふみだす
④うごく、うごかす、こじうごかす
 
野見宿禰當麻蹶速の相撲について、新田一郎「相撲の歴史」にも、長谷川明「相撲の誕生」にも、「それぞれ足をあげて蹴りあったが」と訳されていた。でも、「蹶」の字を辞書で調べたら、蹴るの意味はなかった。當麻蹶速は、蹴るのが速いという名じゃなく、俊敏に動き相手を崩すという意味だったんじゃないか、と思った。「相蹶」を「相蹴」と解釈して蹴り合ったと紹介されることが多いけれども、そうではなく、つまずき、傾き、動き合ったと考えていいのでは、と思った。
 
その後の相撲では、蹴るという行為がほとんど出てこないのに、どうして、最初の相撲が蹴り合うのだろうと思ったのだが、どうも蹴り合いではなかったのではないか?何かの勘違いではないか、と直感した。どうなんだろう?
 
今朝は、「四股1000」で体を動かした以外は、七夕に関する文献調査に時間を割いたのだが、寝る前に、ロブ・ギルドンが参加しているこの美しい動画の配信を見て、歌声と風景とメッセージに心打たれた。