野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

夜四股と〈座・座〉部屋とカエルケチャと高砂

6月21日がやってきた。夏至新月で日食もある。そもそも、夏至で日食は、1648年以来372年ぶりで、次回は、782年後の2802年だそうで、おそらく人生で最初で最後の日。

 

今日という日は、本来は「徹家の音楽会・夏至の〈座・座〉部屋」を開催する予定で準備していて、3月までは開催のつもりで準備していて、4月に入って無念の延期の決断をした。このイベントは、音楽であり、小説であり、美術であり、相撲であり、サーカスであり、部屋であり、庭であり、家であり、ちゃんこであり、座である、そんな1日になるはずだった。一年後には、夏至と日食が重なることもないし、この公演名とは違った名前で開催することになる幻のイベント。でも、今日あったかもしれない「徹家の音楽会・夏至の〈座・座〉部屋」のことを想像して、今日という2020年6月21日をどのように大切に過ごすことができるのか、と考えておりました。

 

開催概要と、3月26日に書いた開催に向けての文章と4月3日に書いた延期への文章は、ながらの座・座のホームページに掲載されている。

 

nagara-zaza.net

という無念の思いや悔しさをバネに、今日をどうやって過ごすかを悩み続けてきて、当初は、ながらの座・座で、土俵の畑をつくるとか、シンボリックな何かができるのではないか、と思案してきた。ながらの座・座では、急遽、別のコンサートが開催されることになり、ながらの座・座ではない場所で、ながらの座・座で過ごしたであろう時間を想像しつつ、全く違ったエネルギーに展開していくような、そんな時間をどう過ごすか、考えてきた。

 

まずは、今日、「徹家の音楽会・夏至の〈座・座〉部屋」関係者に、電話で挨拶して声を聞き、やるはずだったイベントのことを想像しようと思う。午前中に、facebookにその旨を投稿すると、タンバリン奏者の田島隆くんが、

 

夏至&新月&日食というトリプルな本日はコレに参加予定でした♪
しかも野村誠さんと奇跡的な再会をし、約30年ぶりの共演となる筈でした。
なんとも残念ですが、近い将来共演時に夏至だろうが新月だろうが日食だろうが自力で起こしますので(笑)どうぞよろしくお願いします♪

 

と、非常に勇気づけられる投稿をしてくれた。そうか、夏至だろうが新月だろうが日食だろうが自力で起こせばいいのか。さすが田島くんだ、と感動する。その後、ながらの座・座の橋本敏子さんにまず電話をするが、電話のトラブルでなぜか繋がらない。井上信太くんに電話をするが、電話のトラブルで繋がらない。いしいしんじさんに電話をするが、繋がらない。繋がらないのも、何かのお告げのような気がして、諦めて出発する。

 

今日は、佐久間新さんが「夏のカエルケチャ祭り」を来週開催することになり、大阪府豊能町の牧に行き、カエルの声との共演のための下見をすることになった。そして、ずっとオンラインで続けてきた「四股1000」が夏至に初めてオンラインとオフラインを合体させて開催することになり、佐久間さんのカエル田んぼ近くで四股を踏むことになった。

 

レンタカーで亀岡を経由して、歌垣山の周りを周回して、カエルの里を目指すドライブが続く。カエサルの聖地へ辿り着くために、世界を何度も捻り、途中で信太くんの留守電にメッセージを残すことに成功し、道の駅や霧の芸術も経由しつつ、進んでいく。日食が始まり、雲の合間から太陽が欠けているはずだが、よくわからぬまま山の中に入っていく。もはや、太陽が欠けていなくても欠けていても構わない。

 

佐久間さん、JACSHA制作の里村さん、「夏のカエルケチャ祭り」制作の那木さんと4人で、いよいよカエルの里に集合する。カエルと鍵盤ハーモニカで共演した後、カエルの里の住人のコタニさんの全面的ご協力のおかげで、畑で四股を踏ませてもらえることになる。そもそも、「徹家の音楽会・夏至の〈座・座〉部屋」では、畑に土俵をつくり一ノ矢さん(元力士)の四股ワークショップを開催する、という構想があったのだが、畑で四股が踏めるなんて、「夏至の〈座・座〉部屋」が少しだけ別の形で実現していることに興奮する。

 

19時、両国の隅田川沿いから東京組10名弱が、自宅からの参加の砂連尾さん、しほさん、四戸さん、京都の屋上からの石神さん、福岡の糸島海岸からの寅雄さん、沖縄の海辺からの山城さん、それぞれが集まってくる。そして、「夏至の〈座・座〉部屋」に参加予定だった竹澤悦子さんらも隅田川を背景に見える。ぼくたちは、畑の土の中に足が少しずつめり込むのを感じながら、1000回四股を踏んだ。電波が音声や映像を届けているのか届けていないのか、途切れそうな糸を切らせないように四股を踏み、声を発した。繋がっていない者たちが、微かに繋がっている手綱をなんとか共有しようという四股であり、踏歌であった。夜が更けていった。一ノ矢さんから学んだ四股の教え、リラックスと自由。

 

そして、カエルのサウンドスケープの海の中、打ち合わせをして、カエルの里を出発する前に、ながらの座・座の橋本敏子さんに再度電話を入れた。すると、繋がった。四股を踏んだから、電話も繋がるようになったように思えた。橋本さんに、カエルの里で「夏至の〈座・座〉部屋」の出張ができたこと、四股を踏んだのが、カエルの畑であり、それは座・座の畑と繋がっていることを伝えた。それが、能の「高砂」で世阿弥が描こうとしたことである、と直感した。一ノ矢さんの教えであり、世阿弥にレッスンでもあった。また、ながらの座・座にも行けるし、橋本さんとも再会できると感じた。仕切り直しだ。電話が繋がってよかった。その後、佐久間さんのすすめで、蛍を何匹も見て、ウシガエルと共演して後、カエルの里を後にした。

 

接触するとは何か、接触しないとは何か。佐久間徹さんも接触についての本を訳している。日本センチュリー交響楽団の教育プログラムの名前は、Touch the Orchestraという。物理的に触らないとしても、琴線に触れると言う。触れることについて、離れることについて、「高砂」の奥義に、もう少しだけ触れたい。そのために、明日も四股を踏んで作曲しようと思う。みなさんに感謝。