野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

紀貫之と世阿弥と高砂と一ノ矢からのバトン

今日は、一気に深みにはまってきた。「初代高砂浦五郎」の作曲を進めているが、ついに、能の「高砂」と相撲の高砂がリンクし、さらに和歌(古今和歌集)にまで一気にグワーーンとリンクして、壮大なテーマが降ってきた。わぁーーーーー。能動態でも受動態でもない中動態の創作。ぼくが作っていて、テーマを掘り下げているのか。何かがぼくに作らせていて、テーマが与えられているのか。そのどちらとも言えない。誰かにテーマを与えられているような、自分でテーマを掘り下げているような、でも、どちらでもない中動態。

 

そんな中動態の創作に入るきっかけも、朝の恒例の「四股1000」にある。作曲道と数学と抽象と観念と身体が四股を踏みながら交差する時間。琉球古典曲のフェルマータ。能動態でも受動態でもない中動態。こんな様々なインスピレーションが、各自がカウントする声の中に、1000回踏んだ後の感想の中に、見え隠れする。何か見えない力に導かれているかのように、偶然に何かが立ち上がる。

 

午後は、「初代高砂浦五郎」の作曲作業。高砂部屋マネージャーで元力士の一ノ矢さんの原作を、地歌三味線の竹澤悦子さんが演じるために楽曲にしている。一ノ矢さんの原稿を全面的にナレーションとして採用し、その間に、ぼくが作詞した歌を挿入して、語りと歌で構成される形式に落ち着いてきた。歌詞を整えて、いよいよ、6曲目の「高砂襲名」の部分の作曲にとりかかる。これを作曲すれば、全7曲が完成し、8月の初演に向けて、譜面を書き上げることができる。しかし、この6曲目を前にして、ぼくは長考に没入した。

 

高砂部屋創始者、初代高砂浦五郎四股名高砂は、実は、能の「高砂」にも謡われる高砂のことだ。そこで、今日は、まずは、能の「高砂」を付け焼き刃でリサーチした。結婚式などでお馴染みの「高砂や この浦舟に 帆を上げて」と始まる有名なフレーズが印象的だが、最後の最後の謡の言葉に驚いた。

 

さす腕(かいな)には悪魔を払ひ
納むる手には寿福を抱き
千秋楽は民を撫で  

万歳楽には命を延ぶ
相生の松風
颯々の声ぞ楽しむ  

颯々の声ぞ楽しむ

 

これは、能の謡の歌詞なのだが、相撲の話のようでもあり、音楽の話のようでもある。悪魔を払い幸福を抱き、人々を撫で命を伸ばす、(共に生きる/共に老いる)相生の松風が颯爽と吹き抜ける音を楽しむ。能の足拍子も相撲の四股も、悪魔を払う呪法だろう。YouTubeで能を見ながら四股を踏み踏み感動。これは、この能の謡を楽曲にし、能であり、相撲であり、歌である、そういう曲を書かねばならない、と直感した。 それで、とりあえず、YouTubeでこの謡を、聴きまくって、耳コピーして、リズム譜を書いて、何度もうたって練習して、自分の体に入れる作業を始めた。

 

初代高砂浦五郎についての曲を書いていたのに、気がつくと、能の「高砂」に関する曲を書いていて、今日は一日中、能だった。でも、能勢朝次著の「能楽源流考」という大著の第1ページを見ても、相撲節会が出てくるように、能の源流を探っていくと、相撲に行き着く。相撲は能につながり、能を経由して、高砂部屋がある。相撲と能は繋がっている。この繋がっている関係を、今、感覚的にぼくは感じているのだが、それを音楽で表現したい。それが、今の課題。しかも、それを地歌で三味線でやるのだ。歌にするのだ。と思っていたら、「高砂」を世阿弥が作る上で、古今和歌集の仮名序の一節(「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」)に着想を得て、世阿弥は「高砂」を作ったというのだ。ということで、古今和歌集の仮名序を読むしかないと思い、読んでみた。紀貫之が905年に書いたものだ。古今集を編纂した紀貫之の歌に対する思いが込められていて、世阿弥もこれを読んだのだ。1115年前に書かれた芸術論を読み返し、歌とはいかなるものであるのか、を説かれて、今、書いている曲は、ぼくが書いているけれども、一ノ矢さんの思いに動かされていて、高砂浦五郎の思いに動かされていて、世阿弥の思いに動かされていて、紀貫之の思いに動かされている。紀貫之世阿弥高砂浦五郎と一ノ矢からバトンを受け取り作曲し、竹澤悦子にバトンを渡す。今、ぼくが作曲していたのは、そういうものだったのか、と改めて驚愕。うすうす予感していたけれども、いきなり景色がバーンと開けて、びっくり。本当は、今から何ヶ月も能の研究も和歌の研究もしてから作曲したいのだけれども、〆切もあるので、付け焼き刃を承知で勉強している。このバトンに、限られた時間ないに、少しでも誠実に作曲してみたい。

 

そして、この「高砂」という作品、2020年の新型コロナウイルス 禍の世界を語っているかのようでもある。というのも、姫路の高砂、大阪の住吉という遠隔にいながら繋がっている、という話だからだ。「高砂」は、コロナの時代の生き方についても説いていた。そのリモートと接触について語り合ったのが、夜にやった十和田市現代美術館と問題行動トリオの打ち合わせ。十和田に行かないのに、十和田をどうやってリサーチするかについて、話し合った。文献調査とかではなく、身体的にリサーチをしたい。でも、現場に行けない。そうした時に、ZOOMを通して、現地の人々と交流しながら、十和田の木にリモート接触することで、ダンサーは十和田と出会うことができるのか?そんな可能性が見えてきて、ちょっとワクワクしてきた。

 

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