野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

無茶振りの重要性

昨夜、里村さんとJACSHAの来年度のプロジェクトの件で打ち合わせ。「四股1000」を発展させていきたい。アイディアが膨らむのだが、なかなか言語化が難しい。それにしても、「オペラ双葉山」というネーミングはいかがなものか?オペラにも昔の音楽の様式のイメージがつきまとうし、双葉山にも昔の力士と思う人が多いだろう。そうなると、単に古風なプロジェクトと聞こえてしまうかもしれない。実は、コンテンポラリーであり、音楽とかオペラとか舞台芸術とかの枠には全く収まらない、自由自在なプロジェクト。双葉山の柔軟な身体性のように変幻自在なつもりなのだが、何かプロジェクトの魅力を伝えうる面白い言葉ないかなぁ。

 

今朝の「四股1000」。興味のない人からしたら、何を毎朝、四股を踏んでいるのだろうと思われるだろうが、これが運動として心地よいだけでなく、踏みながら発する様々な声の表現も多様で面白く、しかも、1000回踏んだ後の意見交換で、思いもかけない話がいろいろ出てきて、やみつきになっている。まぁ、とにかく気軽にできて、楽しい。今日は、かかとをつけずに100回四股を踏んだ。爪先立ちなので、ふらつかないように、無駄に重心が移動しないように心がける練習になった。

 

本日は、鈴木潤さんと出した冊子「音楽の根っこ」のレクチャーシリーズの5回目だった。ゲストには、東京文化会館の杉山幸代さんが出演されて、人材育成、トレーニングをすることについて、質問された。とにかく、「無茶振り」に限るのだと思った。6年前、日本センチュリー交響楽団の楽団員たちは、ワークショップの経験が一度もない状態で、何一つトレーニングプログラムがない状態で、ワークショップの現場を経験した。これは、柿塚琢真マネージャーの無茶振りである。楽団員の方々が無茶振りに不平も言わずに、徐々に適応していった。柿塚さんの無茶振りも大胆だが、楽団員の対応力も大したものだった。こうしたものは、下手をすれば衝突や崩壊を招くこともあるけれども、ある種の信頼関係があれば、無茶振りは成長のチャンスになっていく。

 

千住のだじゃ研(だじゃれ音楽研究会)のメンバーも、色々な無茶振りが来ても、どんどん対応していく。別に人材育成をしていたつもりはないのに、だじゃ研のメンバーは優れたワークショップリーダーになっていったり、即興の名手になっていったり、どんどん才能が開花していっているように思う。でも、そうした人材を育成するためのプログラムを考えたつもりもないし、そもそも「だじゃ研」を作ろうとさえ思っていなかったのに、いつの間にかだじゃ研ができて、勝手に発展して、勝手に面白くなって、ぼくが行かなくても、だじゃ研だけでテレビに出演したり、イベントに出演したりしている。

 

無茶振りって、無茶だとわかっているので、ある意味、失敗が許される。失敗していいと、思い切った実験ができる。前衛は、人がやっていないことをやっただけで、評価されるので、ある意味、大胆な失敗をするだけで評価される。だから、前衛ほど楽なことはない。大胆に大きな一歩を踏み出して、それなりに失敗することが成功だ。そう思うと、思う存分やりたいことにチャレンジできる。とんがっているのは、意外と気楽かもしれない。そんな話もした。

 

それにしても、暑くなってきた。暑い。