野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ヒンデミット90年前の参加するための音楽

野村誠鈴木潤著「音楽の根っこ オーケストラと考えたワークショップハンドブック」(日本センチュリー交響楽団)のPDF版が、こちらのページで無料でダウンロードできるようになりました。ぜひ、読んでみてください。

 

『音楽の根っこ オーケストラと考えたワークショップハンドブック』発行 | 日本センチュリー交響楽団

 

この本の中では書かなかったが、そもそも、ぼくが音楽創造ワークショップなどを行うきっかけになった作曲家の一人に、実はパウルヒンデミット(1895-1963)がいる。ヒンデミットは、退廃芸術としてナチスから禁止されたことでも有名だが、ぼくが最も影響を受けたのは、中学生時代にラジオで聞いた《街をつくろう!Wir bauen eine Stadt》という子どものための音楽。この曲がヒンデミットのどの作品より面白いと思ったことが、のちに子どもと音楽をつくることに関心が向かったきっかけの一つのように思う。

 

それで、急に、ヒンデミットの《街をつくろう!Wir bauen eine Stadt》が気になって、以前購入したもののあまり読んでいなかったGeoffrey Skelton著の「PAUL HINDEMITH - THE MAN BEHIND THE MUSIC」の第5章「1927-1932: MUSIC TO SING AND PLAY」を読んでみた。ヒンデミットは、この作品をつくるために、学校を訪れ子どもたちの協力を得て作品を作った。作品を書いた後も、子どもたちの意見を取り入れて曲を変更したという(以下、関連する部分を引用)。この作品は、ヒンデミットが書いた参加するための傑作で、その創作プロセスも含めて、もっと評価されていいはずだと思う。

 

 Wir Bauen eine Stadt (English title : Let's Build a Town) was a further development of the series Music to Sing and Play. It was an attempt to write something for children with cooperation of children themselves. Daily over a period of weeks he went to a school in Berlin and, having worked out a general idea with the children, made a note of what they themselves suggested. On the following day he would bring in his work based on their suggestions and rehearse it with them. Any objections the children then raised would be discussed, and alterations made, Never before, Hindemith told Strecker, had he had so hard a task and such uncompromising critics.

 

クラシック音楽家、オーケストラの音楽家がワークショップをすることの先駆者として、ヒンデミットは今から90年前に、子どもたちとコラボレートして作品を作っていた。さらに、作品を譜面通りやるだけでなく、変更を加えていくことを推奨すらしている。

 

He (Hindemith) told his publishers that he had no objection to people altering it as they liked to suit themselves. "The work is meant to be a creative game, and the more people tinker with it and alter it around themselves the better."

 

 

大澤寅雄くんのfacebookページで、ぼくのブログのことが紹介されていて、そこに、いろいろ質問などもあったので、さすがに返答しなければと思い、書いてみた。ここにも、転載!

 

  • 劇場におけるライヴパフォーマンスを否定するつもりは、毛頭ありません。「無観客コンサート」の動画配信は、その代替品にはならない。全く違うメディアです。だから、代替メディアと考えることには、意味を感じません。その点に関しては、衛さんと同感です。
  • では、何に可能性を感じたかですが、今回は、緊急事態でしたので、通常の公演をややアレンジして、動画配信バージョンに一部変更したのみでした。そこまで、動画配信を前提に準備したわけではありません。ただ、その一部変更したバージョンの中で、「観客参加」、「鑑賞教育」、「双方向性の即興」などで、このメディアの活用の仕方について手応えを感じた部分があります。
  • 観客参加については、当初、曲の最後に観客が手拍子で参加する場面を設けていたのですが、これを、各自がパソコンの前で自由にダンスや手拍子や楽器などで参加できるように、変更しました。ベートーヴェンをモチーフにしていたので、観客の拍手がベートーヴェンに聞こえなかったことと、リンクしています。各観客は、パソコンの前で共演しているのですが、舞台上で演奏していた我々には観客の音が聞こえません。また、お互いの観客同士もお互いの音が聞こえません。しかし、ステージ上での演奏と、東京の自宅でダンスする砂連尾さんと、ドイツの自宅で手拍子するピアニストの子どもたちと、、、、多くの人が聞こえない共演をすることで、ベートーヴェンを違った形で体感できたのは確かです。これは、別のメディアとして別の活用方法を考えた一例です。
  • また、観客から、お題をいただいて、瞬時に共同作曲ということも行いました。ニコニコ動画の画面上なので、お客さんが自由にドレミファソラシの音名を記入し、それを演奏者が演奏することで、即興的に作曲するという試みです。これも、短い準備時間の中で行なったものでしたが、双方向性のある創作を行う際に、観客からお題をいただく。例えば、今回はすぐにできませんでしたが、観客の投票によって、曲の進行を決めていく。など、ニコニコ動画の機能を違った形で活用する双方向性のある公演をつくることもできます。さらには、無観客公演ではなく、通常の公演ができるようになった時に、それを、劇場の観客と、劇場に来ていない観客に向けての表現とを組み合わせることも、可能です。実際に、病院でベッドに寝ているなど、通常時から劇場には来られない(または来場することが極めて困難な)人々がいます。全ての人が等しく芸術を享受する権利があり、アウトリーチなどの活動で、今まで我々は、そこを達成するべく努力してきました。これも、もちろんアウトリーチの活動の代替という意味ではなく、アウトリーチで訪ねて行った入院患者の子どもが、劇場には来られない際に、こうした届けかとも併用することの可能性は、十分ありだと、ぼくは感じています。
  • もう一つは、鑑賞教育のツールとしての可能性です。野球やサッカーや大相撲などのスポーツは、球場や国技館などで鑑賞する醍醐味は、テレビなどで観戦するのと全く違う体験です。テレビ中継などは、衛さんが仰るようにカメラワークによって切り取られたところを見ることになります。と同時に、テレビ中継は、実況解説などをかぶせて、全く違う鑑賞教育のメディアとして、選手が今何をしているのか、どこを鑑賞すればいいのか、を解説していくことには、成功しているように思います。そして、テレビで大相撲や野球を見ている人が、球場や国技館に足を運ばないかというと、その逆であり、テレビ中継の観戦を通して、実際に生の試合を観戦したいと、球場や国技館に足を運んでいるケースが非常に多いと思います。今回は、ニコニコ動画で視聴者から、次々にコメントが寄せられて、例えば、ベートーヴェンの主題と「カエルのうた」が同時に出る場面がありますよ、と演奏前に解説しました。実際に、その場面になった時に、コメント欄に「カエル」、「カエル」と書き込む人がいました。おそらく、こうした楽曲分析に、リアルタイムで文字で解説を入れていくことも、それが双方向で行えることにも、可能性があると思いました。実際にコンサートホールなどで、観客に意見を求めても、その場で大勢の前で発言できなかったりしますし、アンケートの回収で観客の反応を少し知ることができる程度です。今回は、リアルタイムにこれだけのコメントや反応があったことから、双方向性のある鑑賞教育プログラムをつくる可能性を感じた次第です。
  • まだ、他にも色々、思ったことがありますが、、、、、、、。ちなみに、ぼくはニコニコ動画の回し者でもなんでもなく、基本は劇場やホールやライブハウスでのライブパフォーマンスをこよなく愛する者です。しかし、今回、止むを得ない事情により動画配信でのライブをした際に、通常の公演とは違うアプローチができた手応えがあり、これはこれで、別の表現方法として開拓していきたいと、一人のアーティストとして思った次第です。