野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

みどり園とベートーヴェン

都城市総合文化ホールの企画で、ジャワ舞踊家の佐久間さんと昨日より都城に滞在中。本日は、障害者支援施設みどり園を訪ねる。昨年7月に訪れて以来の二度目の訪問。40名ほどの入所者の方々、通所の方々との1時間半。佐久間さんは自然とさりげない動きをしながら、誰とでもダンスになっていく。見つめ合うだけ、座るだけ、傾くだけ。首を少し傾げるだけ。そんなダンス。

 

ぼくは、様々なパーカッションを部屋の中の比較的手にとりやすいところに置いたりして、そのうち、楽器を手に取り、叩き出す人がいるので、それに応じてキーボードを演奏する。演奏しているうちに、今、「Mr. 迷惑のバッポン気質!Beethoven 250」を作曲中なので、ベートーヴェンのメロディーを引用しながら、セッションしてみる。そうして、ベートーヴェンが知的障害の人々の打楽器にかき混ぜられながら、変容していく時間を味わう。そして、ベートーヴェンのことを、今までで一番理解した気がした。ベートーヴェンは、同じメロディーを反復する。シンプルなフレーズを何度も繰り返す。卓越したプロの音楽家がコンサートホールで聴衆に聞かせるためだけだったら、もっと複雑でもよかったのでは?そうじゃない。ベートーヴェンは、音楽を人々の手に届けたかったのだ。きっとそうだ。もっと、多くの人に参加して欲しかったのだ。みんなで一体感を得たかったのだ。だから、誰もが口ずさめるような単純なフレーズを繰り返す。今日だって、ぼくは同じフレーズを何度も繰り返しながら、打楽器で叩いている人々との混沌に近い場を束ねたり広げたりしていた。ベートーヴェンの音楽は、聞いて楽しい音楽というよりも、参加してこそ楽しい音楽なのかもしれない。だから、年末にアマチュアの人が第9を歌う。そして、ベートーヴェンが第9の次の交響曲を書いていたら、ベートーヴェンが現代に生きていたら、聴衆に楽器を配り、人々に楽器を配り、参加型の交響曲を作っただろう。交響曲は、公共曲になっただろう。今日のセッションで、ぼくはベートーヴェンのことを学んだ。そう思った瞬間に、参加者の人が、ベートーヴェンの終わりのような合図を出して、突然合奏が終わった。感動。

 

職員の方々の反響も素晴らしかった。涙が出た。普段、言葉でのコミュニケーションが難しい人がみんな輝いていた。記録のノートをとらなければいけないのに、一瞬一瞬を見逃したくなく、目をはなしたくなく、ノートは後でとればいいと思って、ずっと見ていた。そんな感想が嬉しい。

 

午後、カラーズに行く。こちらは、昨年「ヤバイものがあるヤバイ」という歌が生まれたところ。今日も「ヤバイ」は生きていた。カシオのキーボードも面白かった。佐久間さんは、踏み込んだコミュニケーションをしていく。

 

夜、みどり園の職員の方々と振り返りの時間が持てた。1時間半近く語り合う。また、何かやりたい。都城で「問題行動ショー」やりたい。だんだん、そうした気運が高まってきている気がした。