野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

あいちトリエンナーレ閉幕

三重から京都に戻りました。昨日の三重大学でのフォーラムで、「あいちトリエンナーレ」について意見を聞かれて、短い時間だったので、整理して話せなかったので、ここに、一度、まとめて書いてみようと思う。

 

・「あいちトリエンナーレ2019」には、行けなかった。今回の芸術祭の全容は、ホームページなどで見た程度にしか知らない。9年前の「あいちトリエンナーレ2010」では、「プールの音楽会」を発表した。

 

・政治家やマスコミなどが、その中の一企画「表現の不自由展 その後」を巡っていろいろあった中で、関係者の皆さんが、本当に苦労し努力し心を痛め苦悩し行動されたことは、想像してもしきれないくらいであり、その方々の頑張りや苦労を想像するだけで、胸が痛む。

 

・胸が痛むと同時に、それでも嫉妬する気持ちもある。自分が発信しているアートが、「表現の不自由展 その後」のように多くの人々の議論の対象になることは、なかなかない。その点に関しては、羨ましくもある。

 

・韓国、北朝鮮、中国、台湾、香港などの近隣の東アジア諸国と、仲良くしたい。日本政府がそうでないとしても、自分自身としては音楽を通して、自分のできる範囲で文化交流をしていきたい。

 

日本国憲法の第1条に、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と書かれている。この憲法の文章は、天皇は象徴として、国民の一員からは排除されているように、読める。でも、国民の総意で、天皇の立場は変わり得るように読めるので、なんとか天皇や皇族の方々にも、ぼくら国民の一員と同程度の基本的人権を認めていけるように、国民の意識を変えていけたら良いのではないか、と思っている。国民の一人として、天皇家や皇族の方々に、(権力はないが)表現の自由があるためには、我々国民がどういう意識になればいいかは、やれることがあると思っている。とりあえず、タブーでなく、そのことについて話せる空気を作っていくのは、国民の責任だと思う。

 

・多様な人がいる社会で賛否両論があるのが健全な状態。ましてや、様々な解釈の余地がある芸術に対して、賛否両論が出るのは真っ当なこと。賛否両論が出ない当たり障りのないことを求めれば、芸術は芸術としての役割や魅力を失う。賛否両論が出るようなアートが排除され、とんがったアートの居場所が見つからないような社会は不健全だと思うし、そんな社会は嫌だ。

 

・とりあえず嫌だと言うとしても、暴力ではなく嫌と言う手段を持ちたい。ぼくはスーパーマンでもないし、正義の味方でもないし、権力も発言力も影響力弱い存在なので、ぼくが何かしても、そう簡単には世界は変わらないと思う。だから、いろいろな人々と協力し合って、微弱な力の集積で世界を変えていくことに貢献したい。

 

・多くの人々の力の結集で生み出すものが、一人の天才のやることを超えられると信じて、共同作曲を実践し続けてきた。だから、一人の才能ある指揮者や演出家や作曲家に全権委任して任せるのではなく、参加者全員(各自)が自発的に関わって、共同で創作していくべきだと思っている。そんな形で、どのような美が達成できるのかを、続けてきた。とりあえず、諦めたらゲームオーバーらしいので、粘り強く、ユーモアと明るさを持って日々生きていこうと思ってる。

 

・香港で出会ったモックさんが言っていた。「革命は明日起こる。だから、革命が起きた時の準備をしておかねばならない」。ソ連が崩壊したように、ベルリンの壁が壊れたように、フィリピンのマルコス軍事独裁が突如終焉を迎えたように、世界は瞬時に変わる。だから、変わった後のことをイメージして、今を過ごしている。

 

とりあえず、今日は、ここで時間切れ。また時間があるときに、書きます。