野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

吉増剛造との25年ぶりのセッション

京都から新幹線を2本乗り継ぎ、仙台へ。仙台から仙石線石巻へ。石巻から車で1時間、リボーンアートフェスティバルの鮎川会場に行く。道中、津波の被害の痕跡を感じたり、新たな住宅があったり、新しい道があったり、風景から8年前の様々な災害が想起される。

 

野村の親友、美術家の島袋道浩くんがキュレーターをしているのだ。詩人の吉増剛造さんの作品「詩人の家」。ミュージシャンの青葉市子さんのバー。外には写真家の野口里佳さんの巨大な写真。

 

島袋くんのリクエストで、ぼくが「DVがなくなる日のためのインテルメッツォ」を演奏し、続いて、「ノムラノピアノ」から「銀河」を演奏する。演奏しているうちに、外で鳴いているセミの声に反応し、気がつくと、ぼくはピアノを弾きながらセミになって鳴いていた。そして、気がつくと、ぼくはピアノを弾きながら、吉増剛造の詩を叫んでいた。「白金の古代天文台に雪降りつもり」と。吉増さんは、拍手をしている。吉増さんがぼくや島袋くんに遭遇した25年前のことを書いた詩「路上バンドに逢った日に神はドイツに行ってしまった」をぼくは暗唱しながら、ピアノを弾いていた。吉増さんは、すっと立ち上がり、パフォーマンスを始める。80歳の吉増さんは、80歳とは思えないエネルギーで、25年前の吉増さんと同じエネルギーで、いやそれ以上のエネルギーで激しくハンマーを振り下ろし、インクを垂らし、カウベルを頭にのせ、床を叩く。ぼくも、気がつくと、飛んでいた。壁を叩いていた。叫んでいた。詩を読むのではなく、詩になろうとしていた。吉増さんと25年ぶりのセッション。セッションの後、吉増さんは、さすがノムだ、あの頃の若さとか勢いとか鋭さが全く変わらない、というようなことを言ったが、その言葉はそのまま吉増さんのことだった。吉増さんも25年経っても変わらない詩へのパッションがある。

 

吉増さんが満足気に宿にお帰りになった後、バーで語り合っていると、地元のお客さんが来られたので、野村がちょっと演奏。「水戸黄門」と「メリーさんの羊」がそっくりなメロディーだ、という即興をした。

 

また、しばらくすると、地元の民謡が上手な方がやって来て、民謡を歌ってくれた。民謡の歌の伴奏を即興でする。すると、ミュージシャンの青葉市子さんが、ギタレレを持ってきたので、ギタレレとピアノの即興セッション。ギタレレでの美しいハーモニクスや繊細な音色で、非常に密やかな静かな即興演奏。吉増さんとの激しいセッションの後、地元の方々との楽しい交流の後、静かで繊細な音楽。その後、青葉さんがキーボードを弾き、ぼくがギタレレを弾いたり、歌ったり、踊ったり、7歳の銀ちゃんと市子ちゃんのキーボードと野村の鍵ハモでの即興。楽しい音楽の時間。80歳から7歳まで、交流が深まっていく。