野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

70歳の巨匠が泣き崩れる

70歳の巨匠が泣き崩れる話。Joseph N. Straus著「Stravinsky's Late Music」という本が、Cambridge University Pressから出ている。今日は、移動中にこの本を読んでいた。作曲家のストラヴィンスキーの晩年についての本。1913年に「春の祭典」を作曲した大作曲家は、それから30年ほど経った1940年にアメリカに亡命し、1952年の70歳の時に、シェーンベルクウェーベルンの音楽を聴いて、愕然として、もう自分はどうしていいかわからない、二度と作曲できないと言って、泣き崩れた。そうした危機を乗り越えて、70代になってから、シェーンベルクの12音技法を取り入れた作風に大転換した。大転換後の細かな技法上の分析の本。

 

で、面白いのが、まず、70歳の巨匠が泣き崩れるきっかけを作ったのが、20代の若者だということ。前衛音楽の指揮を活発に行っていたロバート・クラフトは、23歳の時に初めてストラヴィンスキーに手紙を書く。以降、ストラヴィンスキーにインタビューするなど、晩年のストラヴィンスキーの言葉をたくさん残している人物。ストラヴィンスキーは、シェーンベルクウェーベルンの音楽に関して、情報をほとんど持っていなかったが、この20代の若者が色々な情報を与える。それによって、シェーンベルクウェーベルンの音楽に触れる機会を持ち、ついには自信喪失し泣き崩れてしまう。70歳の巨匠が、「春の祭典」の作曲者が、そんなことができるのかと思うと、愕然とする。泣き崩れた上に自分の過去のスタイルに回帰するのでなく、作風を大転換するのも凄いと思う。

 

On the way home he (Stravinsky) startled us, saying that he was afraid he could no longer compose and did not know what to do. For a moment, he broke down and actually wept...He refered obliquely to the powerful impression that the Schoenberg piece had made on him, and when he said that he wanted to learn more, I knew that the crisis was over; so far from being defeated, Stravinsky would emerge a new composer.

 

という読書がいろいろできたのも、移動がいろいろあったから。今日は、鍼灸に行き、体の調子を整えてもらう。帰宅後、この1週間の旅でたまった洗濯物を大急ぎで洗濯し、日本センチュリー交響楽団のマネージャーの柿塚さんと打ち合わせ。12月の小川和代さんヴァイオリンリサイタルの件、4月の香港の件、6月の豊中での「ノムラとジャレオとサクマの問題行動ショー」の件など議題は多数。その後、ピアノに向かう時間が30分。「十和田十景」の作曲作業、少しメモ。その後、2ヶ月のタイ滞在から本日帰国したやぶさんと4月のイギリスに関する打ち合わせ。これで、来週に出発するヨーロッパに持っていく楽器確定。その後、砂連尾さんと、6月の「問題行動ショー」の打ち合わせ。楽しみ。その後、大阪音大の井口先生のお宅での庄内ワールドミュージックバンドの打ち上げ餃子パーティー。邦楽の菊武先生、シタールの田中先生、ガムランの小林先生とワイワイ楽しいひと時。昨年12月の中国でのコンサートの様子を固定カメラで撮った映像を見て、たった3ヶ月前なのに懐かしく思う。また、このメンバーで色々やりたい。帰宅後、明日からの鳥取滞在に向けて、荷造り準備。