野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

17通りの自分と出会う香港組曲「ヨソモノになるための練習曲」

ダンサーの砂連尾理さんが、我が家を訪ねてくる。6月に豊中で行う公演の打ち合わせ。砂連尾さん、佐久間新さん、野村誠が出演し、ゲストで、香港のi-dArtの方々、たんぽぽの家の方々、日本センチュリー交響楽団の楽団員が参加する予定の公演。公演のテーマは、昨年の野村の香港3ヶ月滞在だ。

 

ということで、香港で、JCRCという福祉施設に3ヶ月滞在の話を砂連尾さんにじっくり聞いていただき、昨年7月の福祉施設内でのパフォーマンスの動画なども見てもらう。

 

実際に、香港で滞在中に生まれた音楽を演奏するシーンも登場するだろう。日本センチュリー交響楽団のメンバーと演奏できるように、編曲したりもできる。また、香港の施設内でのセッションの動画を見せると、砂連尾さんが反応する面白い動きや表情がいっぱいある。例えば、凄く独特でカッコいい歩き方をする人がいる。その人の動きが振付になり、実際に砂連尾さんや佐久間さんが動きを覚えて、その人は出演しないけれども、その人の痕跡からシーンが生まれる、といったこともできそうだ。

 

ぼくが昨年の3ヶ月間、香港で17のグループと定期的にセッションをした。それは、17種類の異なる人々と異なる音楽体験。17通りの多様な音楽体験だった。それは、17品目の栄養素の詰まったバランスの良い食事のような、バランスの良い音楽生活だった。4月に香港でクリエーションをする際には、この17のグループとのセッションで「17通りの自分と出会う」体験がしたい、と砂連尾さんは言う。6月の公演でも、観客に、この17通りの体験をしてもらうことになるかもしれない。

 

香港での野村の役割は、「よそ者」だった。施設の中に、外国から、他所者がやってきた。福祉施設の中に、日本人の作曲家がきた。ぼくが異質な存在だから、施設の中で、繋がらないものが繋がったし、香港の中で繋がらないものが繋がった。6月の公演は、「よそ者になるための練習曲」なのかもしれない。

 

ということで、6月の公演が楽しみです。明後日の神戸での「だんだんたんぼに夜明かしカエル」に向けて、以下の作文をしました。神戸公演の前売り券は完売。当日券は出るかどうか、近々、発表になります。東京公演は、まだチケットあるようですが、こちらも完売になる可能性が高いので、お早めの申し込みをお願いします。

 

佐久間新という「カエルが大好き」な人がいた。この人は、ジャワ舞踊の達人で、ダンサーなのだが、カエルキチガイで、カエルの舞台がつくりたくて、仕方がなかった。障害のある人も、健常者と言われる人も、もともとはカエルにさほど興味がなかったのだが、佐久間さんのために、一生懸命になり、気がつくとみんな巻き込まれていた。

カエルに狂っているのは佐久間さん一人なので、障害者/健常者という垣根がなくなった。カエルキチガイ(=佐久間さん)と協力者(それ以外)という構図ができた。結果、出演者全員とスタッフ全員で、佐久間さんのケアをしていた。ケアする人とされる人、という福祉でありがちな構図は、このように解体された。障害のある人が、一生懸命、佐久間さんの意図を理解し、佐久間さんのカエル世界を実現しようと全力を尽くす。もはや、彼ら/彼女らは、ケアされる立場ではなく、ケアする立場になっている。

一方、豪華なスタッフが、佐久間さんの意図を実現しようと、カエルの世界を理解しようと、様々な提案をする。しかし、このカエルキチガイの世界観は、凡人の理解を超えているので、だいたい違っている。佐久間さんは、露骨に否定はしないが、結局、また、孤独に独自のカエル創作が始まる。

今回のプロジェクトで、佐久間さんは、自ら十字架にはりつけられて、全員の水平で対等な関係を生み出した。佐久間さん一人が、ケアされる人になり、カエルの世界で突っ走る。その世界を理解しようと試行錯誤することが、co-creation=共創になっている。

って書いたら、この現場でのとんでもない面白さ、不思議さ、理解を超えた何かの魅力が、少しばかりは伝わるだろうか?少なくとも、なぜ「カエル」をやっているのかの意味が、少しは伝わるだろうか?

あまりにも面白く、あまりにも言葉で説明が難しいので、説明できる言葉を探しています。あなたも、言葉を探しに来ませんか?