野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

舞台はどこにあるのか

自宅で目覚め、どうやら目覚まし時計を止めていたらしく、寝過ごし、大慌てで準備をして、出発。今日は、福岡なのです。

京都から福岡の距離って、香港から台湾くらいの距離で、これは、もう海外旅行の距離なのだなぁ、と思う。新幹線の車窓から、日本の田園風景が見える。集中豪雨の痕跡は、新幹線の車窓からは、認識できなかった。

九州大学の大橋キャンパスへ。「わたしたちの舞台はどこにある?」というのが、本日のお題。企画してくれたのは、九州大学の先生になった長津結一郎くん。長津くんが芸大の学部生だった頃、エイブルアート・オンステージの「コラボシアターフェスティバル」のスタッフをしてくれていた。その時のフェスティバル・ディレクターをしていたのが、ぼくで、そのマネジメントをしていたのが、吉野さつきさん。あれから13年が経ち、13年前のあの日へのオマージュとしてのイベントが開催される。

13年前のあの日について、13年前のブログを再読してみよう。パネリストがシンポジウムに粘土を準備し、完全暗転になった。あの日、舞台監督の松下さんへは、「いろいろ、急に無茶なことを言うかもしれません。無理だったら、はっきり無理と言って下さい。対応できることは、臨機応変によろしくお願いいたします。」ということだった。
http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20050807

前半は、それぞれのプレゼン。吉野さんは、エイブルアート・オンステージのこと、門限ズのことを、倉品さんは演劇創作のことを語った。

ぼくは、鍵ハモイントロダクションから始めて、鍵盤ハーモニカとピアノを比較するところから始めた。鍵盤ハーモニカはピアノに比べて楽器の性能が劣っているのでしょうか?鍵盤ハーモニカは、ピッチが不安定だからこそ、浅鍵盤のピッチベンドができたりします。ピアノにできないことを鍵ハモはでき、逆に鍵ハモにできないことをピアノはできる。相互に補完し合っている、ということ。これは、人間に関しても同様です。

続いて、2010年に福岡で、門限ズ「野村誠の左手の法則」を開催した時の「福岡市博物館REMIX」より、「Arts Management」と「Workshop」の2作品を、ピアノ+映像で上演しました。これらの作品は、その後「復興ダンゴ」、「だじゃれは言いません」を作曲することに繋がる作品です。ワークショップをどのようにアーカイブするのかに関するポストワークショップの試みです。

そして、香港でのトラムコンサート、住宅地でのコンサート、ツアーコンサートの様子を動画で見てもらいました。

その後、議論が始まるものの、このままだと登壇者だけの議論に終わってしまうので、途中から、全員で立ち上がり、とりあえず、ウェーブをするところから始まり、カラダを動かす体操をしつつ、どうやって議論ができるのか、を考える実験の場になりました。

カラダを動かしながら、質問を言う。カラダを動かしながら質問に答える。こうすると、言葉を発するために、困難になります。それは、障害と言えるのかもしれません。しかし、この困難が加わったことで、人々が質問しやすい空気が生まれたことも確かです。困難とは何か?障害とは何か?これは、何かを困難にする代償に、何かを容易にしているのです。

終演後も、登壇者に加えて、中村美亜さん、大澤寅雄くんなども加わり、居酒屋にて議論は続くのでした。そして、香港では味わえなかった3ヶ月ぶりの居酒屋タイムを、なんとも美味しく面白く思ったものでした。わたしたちの舞台は、居酒屋にもある。町の中にもある。劇場にもある。大学にもある。福祉施設にもある。客席にもある。ぼくらが、そこを舞台だと思った瞬間に、そこは舞台になり得る。そして、政府や劇場やホールが、十分な舞台をわたしたちに提供していないのであれば、わたしたちが必要な舞台は、わたしたちが作っていかなければいけない。生み出していかなければいけない。そういう思いを持った人々が少なからずいる、ということ。では、具体的にどうやっていけばよいのか。次回は、その話になるのでしょう。