野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

天安門事件より29年

相変わらず、香港の福祉施設JCRCにて、アーティスト・イン・レジデンス中です。現在進行中のプロジェクト「點心組曲」の第14楽章である認知症のお年寄りとのプロジェクトを、とりあえず「Improvised Cantonese Opera」と名付けてみました。本日は、その5回目。「粵劇(cantonese opera)」と名付けたので、今までに作った広東語の歌も、できるだけそれっぽい発声で歌ってみたり、伴奏もできるだけ、5音音階に時々、経過音が入る7音音階にして演奏。そして、途中で、中国打楽器ばかりをお年寄りにお渡しし、野村の即興歌と踊りに合わせて叩いてもらう。かなり、粵劇の雰囲気が出て良い。

午後は、ホールにて、知的障害の人が70名ほど集まる「Art Fun Day」が開催されて、踊ったり、大きな紙に自分のカラダをかたどってマスキングテープで線を引いてはったりして後、野村の音楽コーナー。ここで、ピアノソファ君が、この大観衆を前に、野村との連弾を披露。つい最近まで、人前で演奏したことが一度もなかったピアノソファ君が、ホールのステージ上で演奏したことも大きな事件。続いて、ハッピーハンサムさんを舞台に招き、「ハッピーハンサム・ロックンロール」をお披露目。会場にいる皆さんと「てんぷら、すきやき、すーし!」を大合唱。この名曲を、多くの人と初めてシェアできて嬉しい。その後、お年寄りの方々と作った歌も披露できたし、最後は、「Afro-Brazilian Big Band」のスタイルで全員合奏。この1ヶ月に行ったことを、色々、シェアできる良い時間。

夕方は、モックと待ち合わせ。そのまま、ディナー。モックと一緒にディナーと思ったら、17人での会食。なんでも、1970年にモックが仲間たちと始めた若者のための雑誌の編集メンバーや執筆メンバーなど、関係者の年に一度の集い。毎年、天安門事件の日に集まっているそうです。そんな会に混ぜてもらえただけで光栄。

その後、ビクトリア・パークでの「天安門事件メモリアルイベント」に参加。ざっと見渡して、数万人の人がいる感じ。ステージ以外に、巨大なスクリーンが、数カ所は設置してあり、全ての人にキャンドルが渡され、隣の人から火をもらい灯す。モックがところどころ訳してくれたので、大筋は理解。29年前の事件だが、29年前には生まれていなかったであろう若い人も多数いる。29年前の天安門の学生たち、4年前の雨傘運動の香港の学生たち、同時期に台湾の国会を占拠した台湾の学生たち、日本のSEALDsの学生たち、のことも連想される。29年前、天安門に学生たちが集っていた時、ぼくも京都で学生をしていた。同世代の若者たちが、民主化を求めて天安門に集い、武力で弾圧され、命を失ったこと。その痛みと絶望を、こうやってロウソクを灯しながら、思い出す。忘れかけていたことを、思い出す。

セレモニーが終わると、モックはチラシを配り始めた。見ず知らずの多くの人が断る中、それでもチラシを配っている。天安門事件をテーマにしたアートの企画のチラシ。香港のパフォーマンスアートの伝説の人であり、影響力のあるプロデューサーであるモックが、こうして、丁寧に広場に集っている見知らぬ人々に、チラシを配っている姿が、本当に感動した。彼は、伝えることを諦めていないし、いくら大御所になろうが、年をとろうが一貫して同じスタイルで生き続けているのだろう。もちろん有名人であるモックに気づいて声をかけてくる人も時々いる。しかし、大多数の人は、単に断って行ってしまう。

もう既に10時半を過ぎているのに、「どこかでお茶をしていかないか」と言う。せっかくのお誘いなので、付き合うことにした。でも、こんな時間に、しかも、あれだけの集会が終わった直後に、あいている店などない。それでも、モックはしばらく歩き続けた。おそらく、ぼくよりも20以上年上に違いないのに、このバイタリティはどこから来るのだろう?結局、甘味の店があいていて、そこで、非常に甘い飲み物を飲みながら話をした。そして、共産主義国家の単一政党独裁について、29年前に中国共産党が解体されて民主化が実現されるはずだったことについて、話しているうちに、ぼくはモックに質問した。で、中国共産党の一党支配は、いつどうやって終焉を迎えられるのか、と。モックは、「ぼくのセオリーだと、革命はいつでも起こるんだよ。民衆に不満がある限り。だから、いつ革命が起こっても対応できるように、(革命後の生活に)備えないといけない。」

甘味の店の奥の方で、聾の人が手話でやりとりしている。「あ、彼らは、演劇やってるんだ。ぼくは、聾の人といっぱい仕事をしてるんだよ」と言って、彼らのところに、モックは行って、身振り手振りで会話をして帰ってくる。

1989年前後にあんなに次々に、革命が起こること、誰か予測できた?誰も予測していなかった。でも、次々に起こった。今だって、同じだ。民衆に不満があって、革命はいつでも起こる。世の中は変化するんだ。問題なのは、世の中が変わることの心づもりができているかどうかだ。心づもりができていないと、今の状態にしがみついてしまう。でも、今のシステムが問題で、それに不満があるのならば、それを手放す心づもりをしないといけない。だから、いつ革命が起きてもいいように、いつ世の中が変わっても大丈夫なように準備することだ。

そして、別れ際に電車の中で話したこと。コミュニティ・ミュージックっていうのは、自分たちで音楽をつくるだろ?与えられた音楽を消費するんじゃなくって、自分で表現し、自分でつくるだろ?人々が、そういうスタンスで音楽をしたら、社会は変わるんじゃないの?政府に管理され、政府に監視され、政府に制限された生活を送るのか、自分たちで生活をつくっていくのか?自分たちで社会をつくっていくのか?だから、コミュニティ・ミュージックって重要なんだろう?人々がテレビで音楽を消費するのと、自分たちが音楽をつくるのは、まったく違うことだもの。

モックは、色々とぼくに伝えたいことがあって、今日の夕食、さらにメモリアルイベント、そして、甘味屋さんと付き合ってくれたのだと思う。彼からのメッセージは、大きく励まされるものだ。静かな声で、しかし力強く言う。「革命はいつでも起こる。だから準備しないといけないんだ。」

29年前の中国の学生たちの思いや無念を受け止めつつ、民主主義をどう守っていくのかを、じっくり見つめる一夜をいただいた。多謝。