野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

天安門事件から明日で29年

明日が天安門事件から29周年の日。今日は、その前日で、JCCACの屋上で音楽会が催されました。夕方7時にスタート。ゆるゆるとした会。8階建てのビルの屋上ですが、周りに40階の高層ビルが近接しているので、屋上にいる感じがしない。レインスティックと鍵ハモと歌の自然派音楽、シタール独奏、ギターの弾き語り、ドラム+ベース+ギター+ヴォーカルのバンド、詩の朗読、などが、15分程度で次々に入れ替わり登場する。プログラムなし。休憩なし。進行のおじさんが、客席にいる誰かに声をかけて、次の演目が決まる感じ。主催のモックが、ぼくの横に来て、囁く。今日は、ここでやったらダメだと言われたんだ。公開パフォーマンスを主催する免許を持ってないからと。でも、ぼくたちは、今までに免許なんてなくても、今までに色々な催し物をしてきて、一度も何も言われたことがなかった。天安門事件に関するイベントだから、締め付けようとする動きがある。しかし、ここには、若手から年配まで、そして子連れの家族も集い、それぞれの形でメッセージを発する場がある。演奏のクオリティは決して高いとは言えないし、そうしたことが問題になる場ではない。それぞれの人が、自分の声でメッセージを発する場を約束し、それをみんなで共有する場をつくること。それが、重要になる。1週間前の日曜日に、参加型演劇パフォーマンスの実験の場で出会った映画監督も来ている。あの時に一緒にパフォーマンスしていたメイチュンが音楽に合わせて自然にカラダを動かし踊っている。何人か、見知った顔があった。モックは、もちろん顔が広いので、誰もがモックに声をかけてくる。フランクフルトから昨日帰って来たというジョウィからドイツの桃を一口いただく。ぼくは、途中で、寝転がりながら、音楽会を楽しむことにした。というのも、高層ビルと雲と星を眺めながら、音楽を聴くのが最高だったから。結局、音楽会は10時半まで、ゆるゆると続いて、最後は何かの歌の歌詞が配られて、みんなで歌って終わった。あの衝撃の天安門事件のあった1989年6月4日。ぼくは大学生で二十歳だった。