野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

視察官のための演奏会

アメリカのDaniel Barbieroが、野村誠「根楽」をコントラバス独奏で演奏してみた、と録音を送ってくれた。それが素晴らしい演奏で、感激。6年前の青森でのインスタレーションは、現場で体験できないものだが、インスタレーションの写真から、こんな風に音楽が立ち上がるのは嬉しい。

4月の香港は、気温差が激しい。先週は、連日30℃で、夜になっても29℃でしたが、日曜日に雨が降って以来、最高気温23℃、最低気温19℃といった具合になっております。だから、Tシャツ1枚だと少し肌寒いので、長袖を羽織る感じがちょうどいい。そして、先週もエアコンが効き過ぎだと、長袖を羽織る感じがちょうど良かった。結局、外気温が変わっても、服装はあまり変化していない。

i-dArtのオフィスに行くと、昨日風邪で休んでいたベリーニが出勤している。セーターを着た上に、もう一枚羽織っている。いくら何でも、そこまで寒くないから、まだ熱あるんじゃないの?心配になるが、ベリーニは元気いっぱいで、「もう大丈夫」といつものベリーニだった。

ベリーニが、アート活動の時間を案内してくれる。ベリーニは、嶺南大学の羅淑敏教授と恊働で、障がいのある人がアートを学ぶための3年間のカリキュラムをつくって、実践している。今日、ここにいる人たちは、2013年入学、2016年卒業の第1期生。大阪には釜ヶ崎芸術大学というオルタナティブ芸術大学があるが、香港の東華三院で、ベリーニたちはオルタナティブ美術大学を試行錯誤している。

ベリーニの案内が良かったのは、一人ずつの作風や特色を説明してくれたこと。彼の画風は、常に縦と横の線で構成されているとか、家族や親しい人を描き続けているが、常に細部が違うとか。写真を見て絵を描くが、写真の構図とは違う絵に変形されていくところが特色であるとか。常に魚を描いているが、上から何度も絵の具を重ねて塗るので、テクスチャが独特になるとか。彼女は、それらを説明しながら、本当にそれらの絵の魅力を味わっているようだった。そうした導入があることで、それぞれの作家の個性を味わうことができたのも嬉しい。

そのまま、ベリーニと打ち合わせ。今週、来週のスケジュールについて。とりあえず、今月は、施設の様々な活動を見学して、ここの状況を理解すること。また、i-dArtのスタッフに野村のことをより理解してもらうためのシェアリングセッションをすることで過ごし、5月になったら、残りの2ヶ月半で、どんな活動をしていくかを、話し合おうと合意。もちろん、計画は常に柔軟に変えていけばいい、と言う。

かなり生活に慣れてきたので、空き時間にチェロ協奏曲「ミワモキホアプポグンカマネ」の編曲をすることに。30分とか、ちょっとした時間に譜面を書く。久しぶりに五線の楽譜を見た気がするし、テノール記号を見るのは、もっと久しぶりだ。編曲は、良い気分転換になる。

午後は、プリスカがセンター長を務める50歳以上の知的障がいの人が住むD棟4階へ行く。今日は、政府の役人が視察に来る日で、夕方4時頃の視察の時間の時に、ここで野村のグループセッションが行われているように、目論まれているのだ。つまり、視察官に海外のアーティストを招聘して活動している様子を見せたい。ある種、プレゼンのためのワークショップである。いきなりぶっつけ本番ではまずいので、まずは、14時に一度、顔合わせの短いセッション。とりあえず、楽器を配ったり様子をみる。非常に激しくノリノリで太鼓を叩いてくれる人もいたし、そうでない人もいる。用意してもらったキーボードのアンプの置く位置、参加者の椅子の配置など、どうすればいいか、を理解してもらう上でも、重要な下見/リハーサルとなる。いい感じに音楽が始まりかけたところで、プリスカが「ストップ」の号令。今から、お風呂の時間だと言う。なるほど、視察の前に、お風呂を済ませておくのですね。Bathと言っていたけど、こっちのお風呂って、どんなものを指しているのか、想像つかず。シャワーか、イギリスのバスタブみたいなのか?それとも、日本のお風呂みたいなのだろうか?視察を前に緊張感漂うので、今は質問できそうにない。

ということで、お風呂休憩が1時間半あって後、いよいよセッション。といっても、お風呂が終わった人が徐々に集まるので、なかなか始まらない。お一人お一人と片言の広東語とジェスチャーでお話したり(ほとんど会話にならないが)、手拍子する人の真似をしたり、握手してくる人と挨拶したり、そんな風に時間を過ごす。

いよいよ、視察向けワークショップの開始。最初に、野村の簡単な挨拶。そして、鍵ハモの演奏を聴いてもらう。聴いてもらうと言っても、手拍子し始める人、立ち上がって踊り始める人などいて、参加型で混沌とする感じ。鍵ハモは、動いて、人との距離が変えられるのでいい。

その後、ハンドベルを配って、ベルのアンサンブル+野村がキーボードで共演。これは、さくら苑でのハンドベルとピアノのセッション経験が大きい。さくら苑のお年寄りに比べると、明らかに力がある人がいるので、ベルの音量は、さくら苑よりも大きい。こうなると、高音がきつくて耳を塞ぐ人が出るかもしれない、と思い、注意深く見ていたが、誰も耳を押さえない。つまり、高齢の方々なので、高い周波数の倍音が聞こえすぎる人が、おそらくいないらしく、ぼくが聴いている音よりは、マイルドな響きに皆さんには聞こえているであろう、ということが想像できた。よって、気兼ねなく、この美しい響きの渦を楽しんで、ぼくも即興演奏。

こうやって演奏していたら、視察官が来るかと思いきや、遅れていて、全然来ない。さすがに20分近く演奏して、一度、演奏を終える。続いて、ベル以外の楽器になると、これが、複数の噛み合ないビートが共存する現代音楽(クセナキスなど)では珍しくない状態になる。ぼくは、これで面白いとしても、視察の人には理解しにくいと施設は困るだろう。今日は、もう少し視察官にも分かりやすい音楽に響くように、キーボードで伴奏して、グルーブをつくる。これは、これで盛り上がった。

しかし、視察官が来ない。ここで、視察官が来たら、スタッフが短い挨拶をして後、先ほどのベルの音楽を短く演奏する、という段取りをし、視察官を待ち構える。つまり、さっきまでがリハーサル。これからが本番。すると、ほどなく視察官のご一行さま到着。我々の本番があった。視察の人々が笑顔になったのが、印象的。ぼくは、個人的な思い入れで、さくら苑で生まれた「わいわい音頭」のメロディーをちょっとだけ演奏した。天国にいる樋上さんも、香港で「わいわい音頭」が奏でられたことを喜んでいるだろう。

視察官が帰った後は、自分たちが楽しむために演奏を続けた。この複雑なリズムの重なりがサンバのようにも聞こえて、ちょっとだけサンバのような伴奏もしたりした。参加した人々が、喜んでくれたようで、握手を求めてきたりする。「音楽は美しい」と広東語で言っていると通訳してもらう。プリスカが、「ベルの音楽が本当に美しく、音の海にいるかのようだった」と言う。

香港に着いた夜に、ディナーを御馳走してくれたのがプリスカ。彼女の施設がぼくの最初のワークショップになったのも、何かの縁なのか、それとも、あの時点で既に決まっていたことなのか?まぁ、どちらにしても、ここには、また来ることになるだろう。

部屋に戻ると、「生きるための試行 エイブル・アートの実験」と「Beyond Britten –The Composer and the Community」の2冊を交互に手にとり、読書。