野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

台風の京都で千住を想う

早朝、メメット+ガンサデワの面々を見送りに福水旅館へ。また、ジョグジャで会おうと見送る。そして、音う風屋に宿泊中のタイ組、アナンとパムにも挨拶し、千住を発つ。アナンとは、1月にマレーシアでのプロジェクトで再会する予定。

京都に戻り、自宅に着くと、間もなく外は嵐になった。台風が接近中で、野菜の苗などを家の中に入れる。あっと言う間に、自動車の洗車機の中のような気分で、家が吹き飛ばされそうだ。

「千住の1010人」への感想が、少しずつ聞こえてくる。よく実現できたなぁ、しかも天気も好天で、本当に良かったなぁ、と噛みしめる。それにしても、7月11日に譜面を書き上げて、12、13日の二日間だけ千住に滞在した後、2ヶ月半、一度も千住に行けなかったことは、結果として本当に良かったと思う。千住のメンバーが2ヶ月半、野村誠なしで、自力で全てを進めなければいけない状況ができて、野村不在で知恵をしぼり、力を結集し、自主練をし、会議を開き、プレイベントを開催し、、、、、。そうして、野村のプロジェクトなのに、野村から自立して、プロジェクトが動いていったのが、本当に本当に「千住の1010人」が豊かに響いた理由だと思う。結果論だけれども、不在にして良かった。

3年前の千住での最初のキックオフのフォーラムの日の日記で、野村が不在でも動いていく仕組みづくりまで含めてやりたい、とコメントしていますが、それが実現したわけです。

http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/20111001

「だじゃれ音楽研究会」は、「だじゃれ音楽」を専門的に研究する専門性の高い集団になっていたわけですが、専門化すればするほど、一般の人々から解離してしまう。ところが、今回はパートリーダーなどを務めていただき、自分達が説明する立場、教える立場に立ち、初めて参加する人々にアクセスしやすく説明してくれた。素晴らしい「繋ぎ手」になって、アンサンブルに命を吹き込んでくれていた。そのことが凄く嬉しい。

リーダー待望論は、もういいんです。リーダーが不在でも、小さなコミュニティで各々が役割を担うことで、社会全体が支えられる。そういうことを示したかった。だから、指揮者として、指導者として、引っ張っていくのではなく、できるだけ任せたかったし、任せた。そういう意味で、昨日の日記にも書いたけれども、校長先生の気分だった。各クラス担任を信用して、どっしり構える校長先生。

あと、清宮ディレクターが、野村誠の音楽を全面的に信頼し、野村誠の本気を出す能力は、こんなものではない、「野村さんが、全力でホームランを打ちにいく」のに関わりたい、という真っ直ぐな気持ちでいてくれたことは、実は大きかった。まぁ、それは言ってみれば、通常で言えばあり得ないような過度な期待なわけ。ピアノもない、野外で音響も最適ではないし、色々な困難はあって、リハーサルだって全員でできるわけではない。この程度になるかな、などと、妥協点を見つけるのが普通だが、清宮ディレクターは、悪条件でも、野村さんは最高のコンサートをやってくれるとバカ正直に信じて疑わない。それは、プレッシャーにもなるけれども、こちらは本気でやって良いのだ、と思える後ろ盾にもなり、無謀とも思えるプロジェクトに全力で進めた。

そして、この夢見がちなディレクターのロマンを、スタッフ達が本当にとんでもない頑張りで、現実に落とし込んでいった。ぼくは、話の分かる人間なので、清宮ディレクターを介さずに、もし現場スタッフともっと話していたら、彼ら/彼女らの悲鳴を聞いて、プロジェクトを実現しやすい形に路線変更だってしていただろう。でも、多分、ぼくが想像する限り、夢見がちなディレクターの妄想と、作曲家の妄想を、最後まで文句を言わずに引き受けたのは、本当に凄いことだと思う。理想と現実は違うのに、理念と現場は違うのに、現場の大変さに関係なく、大きなことを吹聴するディレクターを許せたのは、凄い。それは、ある意味、狂っていると思う。

でも、メメットは言う。世界は賢者によって変わるのではなく、世界は狂人によって変わるのだ。そして、アナン、メメット、野村という狂人達の狂気を否定せずに、そのまま受けとめて、ちゃんと多くの人と共有できる場を実現した。それは、「千住の1010人」の大功績。今日から再び、野村不在の千住となる。でも、野村が不在だからこそ、千住だじゃれ音楽祭は、さらにさらに、発展をとげていくのだと思う。

と台風の暴風雨で自宅に籠城しながら、昨日までの日々を振り返る。それにしても、よくやったなぁ。やっちゃったなぁ。本当にやっちゃったなぁ。

ちなみに、「千住の1010人」という曲は、1010人で演奏することは、もうないかもしれないけれども、もっと小さな編成(例えば30人とか50人とか100人とか)で、機会がある度に、演奏し続けていきたい。「ケロリン唱」をやったことがある人がいっぱいいるように、「千住の1010人」も経験者が増えていって、どんなメンバーの組み合わせでも演奏できる曲になったらいいなぁ。