野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

風通しのよいカオス

香港滞在も残り2日となりました。雨が降ったようで、朝も曇り空。天気は大丈夫だろうか。

8月28日の北口大輔リサイタルで初演となるチェロ+ピアノ版の「ミワモキホアプポグンカマネ」の編曲譜面の校正をして、譜面を発送。香港滞在中にやろうとは思っておりましたが、結局、ギリギリの発送に。何しろ、帰国したらすぐに、2台ピアノのための「オリヴィエ・メシアンに注ぐ20のまなざし」の作曲に着手する予定なので(9月4日に両国門天ホールにて、世界初演)、、、、。

北口大輔くんの素晴らしいインタビューは、こちらで読めます。

http://www.century-orchestra.jp/webmagazine/

両国門天ホールでの中川賢一+野村誠コンサートの情報はこちら
http://www.monten.jp/20180904

徐々に、荷造り。そして、明後日の関西空港から自宅までの乗り合いバスを予約。ああ、本当にもう明後日には日本なんだなぁ。

昼になると、天気がよくなって、暑い。どうやら、今回4つ目となる野外イベントも、なんとか天候に恵まれそうです。

楽器を積み込み、会場まで移動。5時開始なのに、2時半過ぎにつく。でも、この時間についてよかった。この高層ビルの狭間にあるスペースは、暇な人々がくつろげるスペースであり、子どもが遊ぶスペースでもある。こういう何にも属さない人々が行き交い交差する場所で、セッションができることが何よりの喜び。

ここで、のんびりとしゃがんで時を過ごしているうちに、近所の子どもが話しかけてきて、友達になった。いろいろ、お菓子を見せてくれたり、仲良くなった。言葉は通じないのに、だんだん友達になっていく。

まず、境界線を越えてやってくるのは、子ども達だ。

簡単な音響機器の設置を、共催のCCCDのスタッフがやってくれる。そのうちに、我がマコトバンドのメンバー、そして、ダンスクラスのメンバー数名、そして、i-dArt美術コースの卒業生のカヤン、シュウラン、マックワイホンが到着。いつも怖い表情の仕切り女王が、いきなり、子どもに笑顔で寄っていって、握手をしたのには、おったまげた。環境が変わると、様々なミラクルが起こる。

CCCDは、主婦バンドなど、3つのコミュニティバンドを用意。これらのグループは、オリジナルソングを歌うのだが、これに合わせて、JCRCのメンバーは自然に踊りだす。

大きな紙に、i-dArtのアーティストが絵を描いていると、子どもが一緒になって絵を描く。境界線が、いろいろ越えられる瞬間があるし、目に見えない境界線を遠くから眺めている人もいただろう。

マコトバンドBが登場。バンドBの安定したほのぼのとした演奏に、待ちきれないマコトバンドAの爆発ピアノ君が、ピアノを弾き始め、ノリノリちゃんがボトルを叩き始め、あっという間に、マコトバンド混成グループになる。マコトバンドAとBで共演したことは、一度もないのだけれども(リハーサルはいつも時間が別だし、トラムでも、交代したので、共演はない)、あっという間に混ざった。これ、初めてだなぁ。そこに、ダンスがいて、美術があって。ああ、カオスになってきたぞ。凄い光景になってきたぞ。

次のCCCDバンドの後、マコトバンドA−1。爆発ピアノ君は、ぼくにピアノをやるように指示をする。そして、彼らはパーカッション。ノリノリちゃんがピアノの前に来て、頭を激しく振りながら踊る。すると、CCCDの総合プロデューサーのモックさんが、ノリノリちゃんのところに飛んできて、一緒になって踊り始める。スタッフだと思った人は瞬時に出演者になり、観客だと思った人が出演者になり、いろいろな境界が無効になっていく。爆発ピアノ君の指揮で、曲は展開。いろんなピアノの即興をさせてもらった。

最後のCCCDバンドの演奏中、ぼくは鍵ハモを演奏しながら、色んな場所に行った。スロヴェニアからの即興演奏家ウクレレとも共演したし、絵を描いている子どもがぼくの鍵ハモを弾いてくれたし、色々な交流が起こった。その後、マコトバンドA−2。スロヴェニアからの即興音楽家が、いつの間に仕切り女王と一緒に、パーカッションのセッションをしている。ぼくのまわりには、近隣の子どもたちが集まって、一緒になってタイコを叩いている。国籍も年齢も何もかも越えていくような打楽器セッション。

この後、みんなでストレッチの時間にした。メキシカの周りに子どもが集まって、みんなで体操だーー。そして、ビニル袋を配って、みんなで袋で音を出したり、ダンスしたりする。最も静かな時間。

この静かな時間に、一人の男性が怒鳴り込んで来た。うるさい、やめろ、と。ここの場所でイベントがある時には、必ず怒鳴り込んでくる常連さんらしい。しかし、実は彼が来た時は、レジ袋の音しかしていなかった。楽器は一切音がしていない。そして、怒鳴っている彼が唯一うるさかった。でも、怒っている人には、そのことは分からない。モックさんが対応してくれた。

さて、ここで、爆発ピアノ君が怒りだした。彼は、怒っていたおじさんが許せなかったのだ。そして、怒りを抑えられずに、彼はぼくの腕の中で泣いた。i-dArtのリオがやって来て、爆発ピアノ君のことは大丈夫だから、次の演目に進めるようにと言った。怒り泣く爆発ピアノ君は、リオに連れられて、輪の外へ。

ここで、ダンスクラスのダンス+野村のピアノの時間。怒るおじさんの後なので、音量を極力抑えて演奏する。静かな音楽とダンスが続く。しかし、遠くで泣いている爆発ピアノ君を見ていると、ぼくはピアノを弾きながら、泣き声をあげた。言葉にならない声で泣き続けた。歌い続けた。それに呼応するように、いろんな声が聞こえてきた。ダンスと静かなピアノのワルツに、声がとけていった。

すると、爆発ピアノ君がやって来て、マイクで何かを言おうとするが、音が出ない。そのことに不満で、爆発ピアノ君はぼくに訴えてきた。そして、電子ピアノの電源スイッチを押し、突然、ダンスとピアノのシーンは強制終了になった。それは、見事なエンディングでもあった。

そして、いよいよファイナルの自由即興セッションの時間に。爆発ピアノ君の要望を音響スタッフに伝え、大音量ではできないことも彼に説得し、その上でマイクを伝えるようにした。彼は、マイクで何かスピーチをしていたが、そこに、広東語で「ありがとう」という言葉が、数度聞き取れた。

最後のセッションの中に、色んな人が、色んな場所にいた。i-dArtのスタッフがいる。JCRCのケアワーカーたちがいる。マコトバンドのメンバーがいる。ダンスクラスのメンバーがいる。i-dArtのアーティストがいる。JCRC以外の福祉関係の人々が利用者の人を連れて来ていたりする。アート関係の人もいる。近所の子どもがいる。近所のお年寄りもいる。子どもに踊るように促したり、絵を描いている親もいる。そして、この様子を目撃しながら、駅から家に向かう歩行者もいる。この3ヶ月の間に、色々な場所で出会った人がいる。みんなバラバラにいるけれども、今、ここにいる。ぼくは、あっちに行ったり、こっちに行ったりして、できるだけ色々な人と関わりを持ち、接触を持った。この最後のセッションを、できるだけ、色々な人々に感謝を伝えたく、動き回った。そんな時間。そして、小日山さんの湯笛も、登場させた。さっそく子ども達が喜んで鳴らしてくれる。最後はピアノに行った。ピアノを弾いている人は、5月の終わりに、ディックの参加型演劇の実験の時にいた人だ。彼女は、おそらくピアノを普段は弾かないダンスかなにかをしている人だけど、楽しそうにデタラメにピアノを弾いている。ぼくも、そこに加わった。しゅうえん予定時刻の7時の2分ほど前、もう十分やったし、警備員やモックさんの様子を見て、ぼくは曲を終わらせることにした。爆発ピアノ君は、最後の一音を何度も何度も鳴らした。本当は終わりたくないし、終わりは自分で決めたいけれども、なかなか決められない。うん、終わらなくっていいんだ。だって、始まるんだから。

記録映像のためのインタビューの短い撮影の後、一人ひとりにお礼をいい、握手をする。千住から来たコタローとも、ここでお別れ。モックさんともお別れ。

観光バスに乗り込み、みんなでJCRCに戻る。本当にたくさんのミラクルをありがとう。ぼくは明後日、日本に帰ります。