野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

群像舞楽4日目

えずこホールで砂連尾理さんと上田謙太郎さんとのワークショップ。新作「えずこタンツ」の振付がかなり難しいのに、次々にやらせていく砂連尾さん。ぼくも、それに合わせて、次々に音楽を作曲していく。砂連尾さんのスパルタですが、気がつくと、ダンスも音楽もできあがっていて、不思議です。そして、柔らかい優雅な動きと、カクカクした動きが、交互する面白いダンスです。「88歳です」の方は、ダンス、音楽、歌で構成されました。

平土間ホールで場当たりし、段取りなどを確認しました。前回、自由に即興をしていたのが、急に作品として固定化されて、皆さん驚かれますが、気がつくと明日が本番で、不思議といくつも作品が生まれています。「老人ホームREMIX#3」と言ってもいいような新作を、明日初演します。

夕食には、偶々こちらにいた倉品淳子さんも合流。「千住の1010人」以来の再会です。
明日のプログラムのために、こんな作文をしました。

「群像舞楽」のはじまり            野村誠

「群像舞楽」の世界へようこそ。
本日は、ダンサーの砂連尾理さん、映像の上田謙太郎さん、そして、作曲の野村誠の3人をナビゲーターとして、皆さんと「えずこ群像舞楽」の世界へご案内いたします。私達は、時空を超えて、人と人がつながるために、「群像舞楽」を考え出しました。例えば、老人施設から遠出ができない村田のお年寄りと、白石の新体操クラブの子ども達が一緒にダンスを踊るために、映像を通して、共演の機会をつくります。「群像舞楽」は、時空を超えて手をつなぐための祭典なのです。

時空を超えた触れ合えない相手との距離感。と同時に、すぐ近くにいるのに分かり合えない人との距離感にも、悩むことがあります。「若者の考え方にはついていけない、わからない」と言う人がいます。「政治家の考えは、わからない」と言う人がいます。「白人の考えることは、わからない」と言う人がいます。「男の言うことは、わからない」と言う女性がいる一方で、「女の言うことは、わからない」と言う男性がいます。「芸術は、わからない」と言う人がいて、一生懸命説明しているうちに、自分でもわからなくなる芸術家もいます。

わからないことは、悪いことではありません。「わからない」からこそ、ヒミツやナゾは魅力があります。でも、わかりあいたいです。わかろうと急接近して、誤解が溝を深めたりすることもあります。「わからない」他人の考えを自分なりに解釈することは、思いやりとも言えますが、逆に大きなお世話のお節介とも言えます。

世代が違えば、国が違えば、宗教が違えば、環境が違えば、ますます、わからない。でも、相手の気持ちをわかろうとしても、相手の気持ちになんてなれない。その時、砂連尾さんは言います。「相手の気持ちになろうとせずに、まず相手のカラダになろうよ」、と。

とにかく、一人の微かな仕草を、みんなで真似して踊ってみました。一人の微かな声色を、みんなで真似して歌ってみました。何度も映像に合わせて歌い、奏で、踊ると、勘違いかもしれないけれども、少しだけその人のことを身近に感じ、自分と一体化する錯覚がでてきます。私の中にあなたがいて、あなたの中に私がいる感覚。

私達は、この感覚に希望を見出し、「群像舞楽」を始めました。みんなで一緒に踊りますが、軍国主義マスゲームのような統率を目指した群舞ではありません。一人ひとりが自分らしさを出しながら、お互いに共鳴し合う群舞です。あなたも一緒に「群像舞楽」に参加しませんか?次回は未定ですが、参加は随時募集中です。

プログラム

1 映像 「群舞あいやま」

2 野村誠 ピアノソロ(「ノムラノピアノ」より)
3 野村誠 「古代民謡」(ドキュメンタリー・オペラ「復興ダンゴ」より)
4 砂連尾理 「マニアックダンス集」
5 砂連尾理 「雲のポーズ」+「偶然のワルツ」(「家から生まれたダンス」より)


6 群像舞楽 「えずこタンツ」
7 群像舞楽 「んだね」
8 群像舞楽 「88歳です」



9 上田謙太郎 「調律師とピアニスト」