野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

ホエールトーン・オペラWS1日目

ホエールトーン・オペラ全幕上演に向けて、Hughと作品を整理していく。

第1幕は、(ちょっと変わっているにしても)ポップな歌が多いので、ゲストミュージシャンたちによるバンドによるオペラ、第2幕は、ゲストミュージシャンはほとんど入らずにワークショップ参加者(30名強)だけで上演、第3幕は、実験的、現代音楽的な要素の強い幕で、ゲストミュージシャンの様々なソロ演奏が中心、第4幕は、ゲストミュージシャンもワークショップ参加者も出てくる賑やかな総集編のような幕になる予定です。

今週、10周年記念の音楽劇で関わったギター部や吹奏楽部などを訪ねて行きます。そこでのワークショップでの音を録音して、その音を有馬純寿さんに加工してもらって本番で使おう、というアイディアも出ました。

ワークショップの参加者は、年齢も10代から70代まで、男女もどちらかにかたよることもないミックスされたグループで、以前1幕や3幕に参加した人もいれば、10周年記念の音楽劇の音楽ワークショップに参加した人、演劇ワークショップに参加した人、全く初めての参加の人もミックスされた本当にミックスグループでした。

昨年までのワークショップとの大きな違いは、今日は、創作ではなく、今までに作った作品をアレンジしていく作業になることです。10周年のプレ公演の音楽ワークショップとの違いは、そちらでは楽器による即興演奏を中心にやっていましたが、ここでは、歌を作ったりアレンジしたりしていることです。

自己紹介や趣旨の説明をした後、まずは、「コケラコケラトイ」(魔女の呪文)を練習。続いて、イギリスで作った庭を記述する曲は、イギリスの庭についての言葉なので、新たに日本の庭をテーマにいろいろ創作した。日本の庭では、花火や餅つきなどイギリスでは考えられないようなことが行われる。

「相撲とりになった少女の哀歌」は、原曲が「B♭,C,E,F,G」という旋法でできている歌なので、同じ旋法による別の歌詞で別のメロディーで作ってもらった。「Honeysuckle」は原曲のメロディーのままで、日本語の歌詞を考えてもらった。「Purple orchid」も別の花に変えてもらい、これはホエールトーン・スケール(ホールトーンスケールにAを加えたもの)で作詞・作曲をしてもらった。

イギリスでワークショップで作ったものを日本のワークショップで作り変える作業は、初めての試みで、同じものが違ったテイストになっていくところが面白かったです。

1日目にこれだけ作れればいいペースだなぁ、と思いました。


PS そう言えば、明日はあいのての第1回の最初の放送です。朝9:15〜9:30です。NHK教育テレビです。皆さん、見て感想をお願いしま〜す。

http://www.nhk.or.jp/youho/ainote.html

しょうぎ交響曲

ある人の感想です。
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だいぶ前にようやく買ったCDである(ややこしいな)。

何か書くべきなんだろうなーと思いながらも書けず、ずいぶん経ってしまった。書きにくいのである。

なぜ書きにくいか? 芸術フォーラムなどの作者の顔が見える場面では、「批評」したり「感想」を述べたりすることはむしろ礼儀のうちだと思うのだが、こういう場所で「批評」めいたことを書いたり、無遠慮な「感想」を並べたりすることは、あまりにも無責任ではないのか? と考えてしまうからである。

などと悩んでいたのだけど、どうやら書けない理由は違うところにあったらしい、とようやく気づいたのでした。あまりにも異次元の作品なので、普段使っている言葉でこの作品について何かを言うことが相当難しいようなのです。

たぶん、10年ぐらい経ったら「このCDはしょうぎ作曲交響曲として確立された最初の歴史的名盤である」みたいなライナーノーツ付きで名盤シリーズ¥1500で売られることがあるかもしれないけど、現時点でこのCDの解説なんて、世の中の誰にも書けないんじゃないだろうか。

なので、思ったことだけを堂々と書くのである。

聴く前は、あのしょうぎ作曲の名曲(迷曲)「ちんどん人生」をオケで演るって、いったい、、、と思っていたのだけど、いやはや、引き込まれました。普通(僕の場合)どんな音楽でも、演奏されているさまざまな音の中からどこか一部(主旋律+ベース、とか)を聴いていて、意識下でしか聞こえていない音(薄ーく鳴っている弦、とか)が必ずあると思うんだけど、しょうぎ交響曲は、すべての音がきちんと意味を持って聞こえて来るのでした。最初から最後まで、1枚のCDをこんなに集中して聴いたのなんて、初心な耳を持っていた中学時代以来ではないだろうか。

もちろん古今東西の大作曲家たち(バッハ、モーツァルトから始まってマーラーストラヴィンスキーなど)の作品は、すべての音に意味があるように作られている訳だし、無駄な音はホントに一音たりともない、という奇跡的な作品もあるのかもしれない。

でも、これらの名作が「しょうぎ交響曲」と決定的に違うのは、作曲者がたった一人なのでした。彼ら作曲家たちは、たった一人ですべてを成し遂げなければならなかったがゆえに、「それぞれの音にいろいろな役割を受け持たせる」という呪縛からついに逃れることができなかったのです。

それを軽々と超えてしまったのが「しょうぎ交響曲」。その作曲法からして、すべての音にきちんと意味があり、きちんと聞こえるのはむしろ当たり前だったのです。ライブだけでなくCDでも「作品」として楽しめるし(むしろ音そのものに集中できていいかも/しかもBGMにだってなっちゃう!)再演も可能。なんと画期的な!

ああ、その歴史的タイトルが「ちんどん人生:Chin Don Life」だなんて、、、最高だ!