野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

石村真紀+野村誠デュオ即興コンサート

石村真紀さんとの即興コンサートをした。
まず、面白かったことは、観客の構成。

石村真紀さんが音楽療法士であるため、観客の半分は音楽療法の講習会の受講生のようだ。大学生もいるが、その多くが40〜50代くらいの女性。ぼくのコンサートではあまり見ない客層。

そして、3分の1は、アート系。ダンサーの木村英一くんや、砂連尾さん、P−ブロッのしばてつさん、林加奈さん、実験音楽や即興音楽の企画・制作をするキャロサンプの野田茂則さん、ピアニストの岡野勇仁くん、アーティストのつきやまいくよさんなど。こういった人たちは、多分、音楽療法石村真紀も全く知らないで来たのだと思う。

石村真紀さんは、(非公開の密室で)音楽療法として、障害児と即興演奏をし続けてきた人だ。しかし、公開のコンサートという形で即興演奏をするのは、初めてだと思う。そういう意味で、コンサートという空間での即興は、初心者である。

そういった空間で、彼女が普段とどういった違いを見せるのか?
その結果、音楽はどうなるのか?
楽しみでもあり、不安でもあった。

1曲目が始まる前に、観客も石村真紀も解すために、ちょっとMCをしたりウォーミングアップをしようか、とも考えた。しかし、舞台袖に来た時に、考えが変わった。せっかく、初めての緊張感があるのだから、初めての緊張感を大切にしたい。緊張感を生かして、1曲目を始めた。

1曲目を始めて、まずいな、と思った。これは、会場を下見した時から予想されたことなのだが、音響が恐ろしくデッドで、ピアノの音がほとんど死んでいる。演奏者の耳には、かすかすの音しか聞えてこない。その上、狭い空間にお客さんが満員なので、空調の音もする。そうなると、本当に、最低の音しか伝わらない。1音をポ〜ンと弾いて余韻を味わえるはずのところが、ポ〜ンと弾いたつもりが、ポ、と消えてしまう。しかも、その音の肝心な芯がない。即興で弾くには、最悪の音環境なのだ。

それを考えて、調律を上野泰永さんにお願いして、ピアノの置き位置、足の下にかますインシュレーターなど、様々な方法で、即興に適した音環境つくりをお願いしたいとも考えていたのだが、今回は十字屋楽器専属の調律師でないとダメだったので、その点での助けもない。どうしよう?まじで、困った。

で、1曲目を普通に弾いていたら、多分、つまらない演奏で終わってしまうと思って、とにかくピアノをうまく鳴らすポイントを見つけること、耳もカラダをこのホール音響に慣れることを目指して、フォルティッシモで暴れたり、急に弱くしたり、連弾になったり、2台ピアノにしたりしながら、探った。1曲目は、過酷な状況だったし、緊張もあったが、1曲目としては、ウォーミングアップになったし、2曲目以降で様々な世界を提示できればよい、と思った。

2曲目は、ドラムとピアノで即興をした。ドラムの音を聴くと音楽療法を思い出しノビノビする、という石村真紀さんがリラックスしてコンサート空間に馴染めるように、と考えて、コンサート前半に入れようと考えたのだ。ぼくは、けっこう楽しくドラムを叩いたし、石村真紀も大暴れでピアノを弾いた。ただ、期待した音楽療法を思い出してリラックスする、という方向に進まない。ガンガン演奏するのだけど、リラックスした雰囲気にはならない。本番の今、即興でやっているのだから、今に目を向けなければいけないのだけれども、ぼくは、普段の自然な石村真紀をどうやったら出せるだろう、と演奏しながら、そこにこだわり過ぎてしまった。本当は、今の石村真紀と演奏すればよくって、過去の石村真紀をすべて忘れるべきなのに!

2曲目が終わって、それでも、ぼくは普段の石村真紀を求めていた。MCで、
「いつも通りに喋ろうよ。」
と雑談モードに持っていく。でも、一列目の観客は音楽療法講習会の常連さんたち。逆に言うと、音楽療法講習会モードの石村真紀と話すチャンスでもあるのだから、よそいき喋りの真紀ちゃんと、会話をすればよかったのかもしれない。この辺は、こだわってしまった。こだわるのは、不自由だ。石村真紀は、どんな石村真紀でもいい、と認められるのが野村誠のはずなのに。

3曲目は、気分を入れ換えようと思った。カーテンを開けて、外光が入るようにしようと思った。そうすれば、カーテンを開ける分、音響もかなり改善されるはずだ。ところが、喋っているうちに、真っ暗闇で演奏することになった。真っ暗闇で演奏すると、静かな雰囲気でかなりいい音楽になった。で、そこから照明が色々変わっていったのだが、照明がつくと暗闇の時のよい雰囲気は持続せずに、また、1,2曲目の演奏と類似した曲調になっていった。

これで、休憩。

休憩中、しばさん、野田さんが楽屋にやって来た。自分的には、音響が悪く、音楽が流れるように展開できず、なんとかかんとか成立させていた第1部という印象。ところが、二人は、かなり面白い、とほめてくれた。即興音楽に精通している二人に、そうコメントしてもらえたので、嬉しい。

ただ、開演前に、石村真紀と二人で弾いた即興のイキイキしていたこと、自由自在だったことの記憶があるぼくにとっては、第1部の演奏は、エネルギーはあるけど、一本調子すぎるかな、と思って、第2部は違った感じでやろうと反省。
「第2部は、もう少し、力抜いてやろうよ。」
と提案。

で、第2部。

今度は緊張感じゃなくって、脱力感で行こうと思って、石村真紀が来る前に、ちょっと悪戯ごころで、先に弾き始めた。いつ始まったか、分からない感じにしようと、客席もまだ休憩時間、という雰囲気で、ぽつ、ぽつ、とピアノを弾き始めた。

石村真紀は、慌ててステージに来て、加わったら、慌てた感じの音楽になって、ぽつぽつ感が薄れて、これじゃ脱力系じゃないな、って変えようと思ったら、石村真紀は鍵盤ハーモニカに移って、そこから、曲調がいろいろ変わっていった。第1部より力が抜けた感じがあって、曲も展開していくし、かなりよい演奏ができた。2部はいろいろ変われそうな予感。

続いての曲では、お客さんに意見を求めたところ
ピアニッシモの演奏をして欲しい」
との要望があったので、フォルテ禁止で即興をした。冒頭は、モートン・フェルドマンの曲のように静かに美しく始まっていい感じの演奏。ここまで、なかなか脱力できなかったのでお客さんから助言をもらって助かった。

ピアニッシモの即興の後の即興もノビノビやれた。もう、ぼくは石村真紀の持ち味を出そうとか、そういったことを気にせずに、鳴っている音に没頭して演奏できた。

最後の曲は、3分の即興とした。これまでは、どれも、15分〜20分の長い即興だったので、敢えて3分という拘束をつけた。これも凝縮されたよい演奏ができた。

音響が悪いという悪コンディションの中で、これだけ即興で演奏できたのは、予想以上のでき。石村真紀は、トークの時にも、普段よりもすごく早口で、全体的に早口な演奏が多かった。コンサートの後半で自分の呼吸感に戻ってきて、どんどん調子をあげてきた印象だから、コンサートという環境に馴染めば(もし、本人がコンサートをする気があれば)、もっといい演奏ができると思うので、期待できる。

やり終わってのぼくの感想は、判断不能
録音を聞いてみての感想は、やっているときに思っていたより、相当いい。
知人から聞いた感想では、「これやったら、また来るわ」、「感動しました」、「すごく良かったので、もっと知り合いを誘ってくればよかった」、「1曲で十分、ずっと聞いてたら疲れた」、「もっと観客も参加させて欲しい」など。

多分、自分で積極的に面白さを見つけていける人、聴いているだけで十分参加できてしまうタイプの人と、きちんとサービスされること、エンターテインメントに慣れている人とで、真っ二つに反応が分かれたようだ。

これだけ良い・悪いがはっきり出るという意味で、これは良いコンサートだったと思う。
ただ、自分的には、相当反省点も多かったので、これからしばらくくよくよ反省して、次へのステップにしたい。

今後は、もっと、はっきり態度を示していくことが望まれる。
万人受けするものを目指しても仕方がない。
どの方向に進むのか?

当日のプログラムにぼくが書いたプログラムノートは、以下の通り。


石村真紀の音楽』     

石村真紀は発展途上の人だ。
彼女の音楽は、日々変化を続けている。
半年前、何の期待もせずに会った。
音楽療法士で大学の先生。
まあ、固い人だろうな、と想像していた。

だが、石村真紀は感覚そのものだった。
情報としての音楽ではなく、感情としての音楽が溢れていた。
ぼくは、彼女の音世界に踏み込むことにした。

石村真紀は、行動する。
音楽療法の現場で、躊躇している暇はない。
当たり障りのない表現では、何も伝わらない。
失敗を恐れず、果敢に攻めるしかないのだ。
速度と大胆さを持って仕掛け、子どもの微細な反応を紡いでいく。
これが音楽療法士の仕事。

狂気が日常と交差する瞬間、自由と拘束の間で闘い、音の衝突の中で感情を交換する。
そんな発展途上で現在形の石村真紀と、ピアノで語り合っていこうと思う。

ポンジョンの崖の上

朝から、次々に訪問者。プロジェクトに参加する唯一の女性トュティ(ダンサー)、ポル(ガムラン奏者)、シスワディ(ガムラン奏者)などなど。パシス(=シスワディさんの意)は、芸大のメディアアート科の副ディレクターをしているらしく、幸弘さんを映像アーティストと紹介したら、さっそく大学でレクチャーをしてくれ、ということになり、17日にやることに決まった。こんな調子で、次々予定が決まり始めるので、早いところ山奥にこもってしまわないと、大変なことになる。
で、車で、2時間以上、ジョグジャの郊外へ行く。舗装された道路を離れ、車一台がなんとか通れる砂利道を進み、岩がごつごつする道をガッタンガッタンいいながら、進み、こんなところにまだ人が住んでいるのか、と思うところを進んだ先にも、小さな集落があったりして、やぎの鳴き声が聞こえる。そんな山道を登りに登って、もうこれ以上行けない限界まで行ったところで、到着。標高700m。ポンジョンの一番上にある最後の民家につく。ここがぼくらの生活の拠点になる。
そこから、シンコンという芋の畑を抜けて200メートルほど歩いて行くと、芝生が突然途絶えて、ほぼ90度の絶壁、ポンジョンの崖に着く。落ちたら間違いなく死ぬ。100mほど真下に集落が見える。人が点のように見える。絶景。すごいパノラマ。とんでもない美しさと同時に、恐るべきほど音が面白い。崖の下の集落の生活の音が、ダイレクトに聞こえるし、せみの声、牛の声、やぎの声、イスラムアザーンが遥か遠方から聞こえてくるし、聴いたことのない鳥や虫の声が聞こえてくる。時間帯によって全く違う音がそこにある。ここで、今日踊ったり演奏したりせず、ただただ、この場所を体験することにしたい。今日は、何もしないことにする、とみんなに説明。
どうやら、今日からテントで寝るらしく、テントを建て始める。絶壁の崖の近くでは危険なので、少し奥まったところにテントをたてる。
インドネシアは入浴の変わりにマンディ(水浴び)をするが、マンディをする場所は、家の近くにはなく、随分、山を下り、湧き水のある野外でする。非常に細い月の月明かりのもと、みんなで裸になって水浴びをした。
アナンが、夕方バンコクからジョグジャに到着。ところが、この山道を夜登ってくるのは危険と判断し、明日来てもらうことにした。
ポンジョンの崖の上での合宿生活開始。テントで寝るのは、いつ以来だろう?星がいっぱい天の川もよく見える。