野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

Memu Earth Labレジデンス2日目

Memu Earth Labのレジデンス2日目。8時起床。朝日が美しい。9時、当縁湿原へ行く。道中にJAXAの施設やインターステラの宇宙開発の施設があったりする。広大な土地に人口が6000人弱の大樹町は、宇宙への出入口にもなっている。湿原は、足元がヌルヌルしたり、足場の触覚自体が独特だったが、音も独特だった。湿原と海の間に土砂が堆積した天然の砂の防音壁が作られていて、海から寄せる波の音が遮音される。だから、波の音の低音成分だけが聞こえてくる。そこで、楽器を鳴らしてみる。砂が吸音材になり、残響がない。また、近くに車が行き交う道路もないので、耳を澄ましても自動車の音が聞こえない。ここは、天然のレコーディングスタジオだ。海に洗われ打ち上げられた石が一箇所にかたまっていて、ここに石を落とすと面白い。11時半に、地域コーディネーターの神宮司亜沙美さんとお会いする。高校生の総合学習のプログラムを東京大学と連携して行おうとしていたり、今度の日曜日に地域の人を集めた交流会のようなワークショップを企画していたりする。相撲と音楽の話、JACSHAでの小川和代リサイタルの話などをする。14時半、「湖水地方コモンズ」を主宰するランドスケープアーキテクトの白井隆さん、料理人の藤井淳史さんを訪ねる。白井さんは、映像プロデューサーとして働いていたが、資本主義経済の歪みや問題点に真っ向から取り組むべく、2010年に移住し、水牛による酪農を開始。藤井さんは今年に入って札幌のイタリアレストランの料理長を退職し、牛を指揮者として牛の時間で料理をする大転換をした。水牛の搾乳を間近で見せていただく。機械からはラモンテヤングのような持続音。

16時、日没直後の海辺で、流木を砂にさすとザクっと音がして、この音で遊ぶ。波の音を背に「ねってい相撲聞」をする。波が旋回するような感覚になる。16時20分、晩成温泉に入浴。17時30分、Memu Earth Hotelのロビーを見学。18時、町に買い出し。19時、森下さん、里村さんと調理。20時、夕食。深夜まで語り合う。25時就寝。

 

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北海道の芽武に来た

アートコーディネーターの里村真理さんと京都から東京まで移動し、羽田空港から帯広へ飛ぶ。空港で、東京大学Memu Earth Labの森下有さんと合流。さすがに肌寒いが陽光も暖かい14時。有さんの車で移動。広大な大地と真っ直ぐな道。馬、牛、山、広い空。途中で食材の買い物を経て大樹町の芽武へ。4時前に日没。日が暮れるとあっという間に寒くなる。かつて競走馬を飼育していた土地が、現在はMemu Earth Hotelとなっていて、東京大学が2年前から実験的にMemu Earth Labの活動を展開している。これから滞在することになるコテージに到着し、ガスコンロの元栓を探したり、食器や調理器具を借りてきたり、まずは生活を始めるための準備を色々する。その間、馬の飼育の山城さんや児玉さんとすれちがいご挨拶した以外は、人は見かけない。夜更けまで有さんと話す。森の生活、鹿の流れ、食、教育、などなど。これから何がどう始まっていくのか、未知数すぎて楽しみ。

マザー/ルーマニア協奏曲

映画館に出かけた。映画「イサドラの子どもたち」を見る。ここで言うイサドラとは、モダンダンスの祖と言われるイサドラ・ダンカンのこと。彼女の「マザー」という作品に現代のダンサーが対峙する、という映画。イサドラ・ダンカンの舞踊譜が残っていて、それが下から上に向かって書かれているのが、印象的。4人が、それぞれのアプローチでイサドラに迫ろうとしているが、もし、「マザー」に山下残が取り組んだら?、ミロト・マルティナスが取り組んだら?、森田かずよが取り組んだら?、などと想像すると、もっと色々なイサドラの解釈はあり得るんだろうな、とダンスの可能性や多様性を思った。でも、イサドラ・ダンカンがどんなダンサーだったのだろう?

 

本日、「世界のしょうない音楽ワークショップ」(オンライン)の2回目。例年120分かけて行なっているプログラムを、60分で行うため、忙しく、かなり入念に準備しないと時間のロスが出てしまう。

 

18:30-18:35  挨拶などをチャットに書き込んで後、前回のワークショップで各グループが作った曲をメドレーにして、野村がピアノで演奏して紹介。

18:35-18:45  身の回りにある物や楽器をみんなで演奏。弦楽器だけ、管楽器だけ、打楽器や楽器じゃないものだけ、鍵盤楽器だけ、全員で、など。

18:45-18:50  日本センチュリー交響楽団のヴァイオリンの巖埼友美さん、ヴィオラの森亜紀子さん、クラリネットの吉岡奏絵さん、ヴァイオリンの小川和代さんに楽器を紹介してもらう。

18:50-18:56 今日のテーマはルーマニア。日本センチュリー交響楽団定期演奏会リゲティ作曲「ルーマニア協奏曲」を演奏する。この協奏曲の中に出てくる音階を、センチュリー響の演奏家が教えてくれたが、実は、この音階は、前回の箏の平調子の音階に2音を加えた7音に見えるので、「さくら」に2音を追加してルーマニア風「さくら」を野村がピアノで弾いてみる。ノリノリで体を動かして聞いてくれる人もいて嬉しい。

18:56-19:04 みんなでチャットに1−7の数字を書いて、この7音音階で作曲。それを野村が五線譜に書き写して、センチュリー響の演奏家に演奏してもらう。

19:04-19:07 グループに分かれて行う活動の説明。ルーマニア風の音楽を作曲してもらうことに。

19:07-19:22 6つのグループに分かれて創作。ガムランの小林先生、ヴィオラダガンバの上田先生と一緒のグループ1、邦楽の菊武先生や音楽学の井口先生と一緒のグループ2、クラリネットの吉岡さんと一緒のグループ3、ヴァイオリニストの小川さんと一緒のグループ4、シタールの田中先生と一緒のグループ5、ヴィオラの森さん尺八の饗庭さんと一緒のグループ6。ぼくは、それぞれのブレイクアウトルームを回っていくが、どこも面白い曲を楽しげに作っていた。

19:22-19:35  6グループの発表。参加者の人でも、トランペットや鍵盤ハーモニカや民族楽器など、いろいろな楽器も登場し、グループごとの個性があって面白い上に、どれも不思議なルーマニア感が出ていた。

19:35-19:45  次回はインドです。時間がないので、日本センチュリー響の演奏家の方が用意したルーマニアハンガリーオーストリアの音楽の旅の動画を各自見ておいてください、のお知らせ。時間のある方は感想など、チャットに書いてください。と言いながら、徐々にみなさん、退出。名残惜しく残っている人もちらほら。        

 

ということで、色々駆使して、なんとか60分を若干オーバーするくらいの時間で開催できた。音階を書いたメモなどを画面共有で出せれば、もっとスムーズに進行できたので、次回は、もう少しテキパキと進められそう。初回が邦楽で、2回目が西洋音楽ルーマニア、次回3回目はインド音楽。コロナで海外旅行が制限されている時代だからこそ、オンラインで音楽で世界を巡る体験は、ワクワクするなぁ。

 

 

 

 

ジョン・リチャーズのアイディアを実験してみた

「四股1000」のホスト担当だったので、今朝の「四股1000」についてJACSHAホームページの「四股1000」ブログに執筆。

 

四股1000 – 日本相撲聞芸術作曲家協議会 / JACSHA

 

昨日の本番が終わり、対面でのコンサート本番は、おそらく今年最後。次の対面でのコンサートは、1月7日の名古屋での中川賢一+野村誠コンサート「愛と知のメシアン!!」で、本番まで1ヶ月強なのだが、明後日から北海道に2週間遠征で、その間は練習できないので、今日はみっちりピアノを練習。メシアン作曲の「アーメンの幻影」と野村誠作曲の「オリヴィエ・メシアンに注ぐ20のまなざし」を練習。メシアンも厄介なのだが、野村作品がなかなか厄介で、しかも2曲目の「音価と強度のまなざし」が全然弾けずにビックリした。今年の4月12日に本番やる予定だったのが直前に延期が決定したので、あの次点でしっかり練習していたはずなのに、半年経ったらこんなに指が忘れているのかぁ。仕方がないので、丁寧に譜読みをしていくうちに、徐々に思い出し、見通しが立ってきて、ちょっと安心。あと、四股とテッポウを毎日やっていることが関係するのか、ピアノを弾く時に、ちょっと違う体の使い方ができた実感があり、ちょっと面白い。

 

イギリスのJohn Richardsから、12月19日に開催予定の「世界だじゃれ音Line音楽祭」Day3のためのアイディアが山盛り送られてくる。Zoomを使ってリモートでどんな音楽ができるか、彼なりに色々考えてくれている。エレクトロニクスがリモートで、どんなことができるのか。単純な仕掛けで複雑な音響が生まれる仕組みがいっぱい。早速、だじゃ研(=だじゃれ音楽研究会)と試す。今日試したことは

 

1)パソコンの内臓音源だけで簡単な指揮で演奏する

2)YouTubeの動画を再生速度を変化させて再生する

3)I am sitting in a Zoom

4)Zen Garden

5)パソコンの読み上げ機能で遊ぶ

 

今日、だじゃ研のメンバーは、楽器を準備してスタンバイしていたのだが、ジョンは楽器を持っていない人が参加できるように考えてくれていた。楽器を準備しているメンバーにとっては、肩すかし。最初は、音楽用のソフトとかを使わず、パソコンにプリセットされているアラート音だけを使って演奏する提案だった。ぼくのパソコンにも、数種類の警告音がプリセットされていて、カエルに聞こえないfrogという音や、Glassという音があったりする。

 

続いて、各自が野村誠YouTubeの動画を選ぶのだが、その動画の再生速度を変えることで、複数の音が重なり合う音響をつくるというもの。これは、各自が動画をスロー再生しているだけなのに、あっという間にかっこいい音響が生まれてきた。

 

次の《I am sitting in a Zoom》は、アルヴィン・ルシエの《I am sitting in a room》という名作からのだじゃれ。(ちなみに、野村誠作曲に《I am Shitting in a Loo》というルシエに捧げる曲があり、その曲の世界初演にジョンは立ち会っている。話し声をZoomを通して、録音/再生を繰り返すと、ある特定の周波数が強調されて、あっという間にセミの鳴き声のように変調されていく。これは、だじゃれ音楽になっているし、Zoomに特化しているので、プレゼンの仕方を工夫してやれそう。

 

次にやった禅ガーデンは、各自がポータブルな楽器を演奏しながら、部屋を移動したり、パソコンのマイクに近づいたり離れたりする曲で、龍安寺の石庭に捧げられている。そして、各自がその場を離れて庭に出る。途中で、全員が画面からいなくなり、静かになるのが面白い。庭の写真をとって来て、それをみんなで鑑賞し合うことも試みたが、実際に公開のイベントで行うと、家の外の写真を見せることは個人情報の流出になりかねなく、自宅の場所を特定されるリスクがあるとの声もあがる。ジョンは、その場の思いつきで写真をとってシェアしようと言ったので、音楽祭で写真のシェアを無理にしなくていいと思うが、イギリスは朝なのに日本の外が暗いことに、彼が感動していた。

 

これで終わりかと思ったら、あと2分だけとジョンが言い、マッキントッシュのTerminalでsayというコマンドを使うと、アルファベットを入力すると喋ってくれる機能があり、これで遊ぶだけでも楽しいよ、とジョンが遊ぶ。

 

毎週1回集まって、簡単なエレクトロニクスの発信装置で、即興の音楽を楽しんでいるDirty Electronics Ensembleをやっているジョン。単なるエレクトロニクスではなく、Dirtyなエレクトロニクスだ。ダーティの「ダ」とだじゃれの「だ」は相通じるところがある。彼は、複雑に洗練されたエレクトロニクスじゃなくって、シンプルな遊びのようなエレクトロニクス、人々が遊びをシェアするエレクトロニクスを志向する。でも、コロナでイギリスは何度もロックダウンになり、集まれない。そんな中、今日、ジョンは本当に楽しそうで、ずっと遊んでいたい子どものようだった。日本の変な人たちが一緒になって実験に付き合ってくれるし、それによって、不思議な音響が成立しているから。

 

ジョンとの時間が終わった後も、だじゃ研からアイディアが出まくる。ジョンもいっぱいアイディア出してくれたけれども、だじゃ研も凄い。こんな風に笑って音を出してシェアできる場は、本当に貴重だなぁ。

 

夜、里村さんがJess Thomというイギリスの俳優についてドキュメンタリー映画《Me, My Mouth and I》(Sophie Robinson監督)が今日までネットで見られることを教えてくれて(ヨコハマ・パラトリエンナーレ)、滑り込みで見て、素晴らしく面白かった。

 

 

「市民が参加するのだ!世界を変革するのだ!」とベートーヴェンが言った日

本日、アッセンブリッジ名古屋で『北口大輔がチェロリサイタルをするかと思いきや‥‥野村と鈴木が乱入してみた!ークラシックジャズチャンプルーー』だった。コンサートのPAをしてくれたのが、即興ギタリストの臼井康浩さん。お会いするのも超久しぶり。PAしていただくのは、本当に心強いのだが、臼井さんにも飛び入りでセッションに加わってもらったら、今日のトリオに大いに刺激になっただろうなぁ。またの機会に。

 

午前中のリハーサル後の空き時間を使って、アッセンブリッジの展示を見に行く。音楽の企画に参加しているけれども、同じエリア内の徒歩圏内に、色々展示がある。折元立身さんのアルツハイマーのお母さんの顔のお面をつけてロンドンの街中をうろうろするパフォーマンスの映像を見る。5年ほど前に、ベネチアビエンナーレの代表選考で、折元さん+野村誠+砂連尾理による展覧会を保坂健二朗さんが企画して、惜しくも次点となり実現しなかった幻のプロジェクトがあったことを思い出す。あの企画、ベネチアビエンナーレの日本代表には採用されなかったけど、そんな展覧会、どこかで誰かが企画実現したら面白いから、やるべきだなぁ、と思った。三田村光土里さんの絶妙な混沌としているようで調和しているインスタレーションや、部屋の畳や襖を外したりして、そこにある空間をうまく生かしたインスタレーション、丸山のどかさんのベニアなどで作られた虚像のようなオブジェたちによるインスタレーションなど、本日のコンサートへの良い栄養をいただいて、コンサート会場に戻る。

 

ワークショップが始まる。たった30分で、野村誠作曲『Beethoven 250 -迷惑な反復コーキョー曲』の最後の参加する場面に出演するためのワークショップ。13人の子どもたちが集まったが、全員小学生でヴァイオリン10人、チェロ1人、コントラバス2人。つまり全員が弦楽器。日本センチュリー交響楽団首席チェロ奏者の北口大輔くんと一緒のワークショップだからか。野村誠鈴木潤さんの二人でのワークショップでは、集まり方違っただろうなぁ。で、子どもたちとその場で遊びながら、いいアンサンブルが即興的に出来上がる。あれっ?これって、ベートーヴェンだと思ったら、アントニオ・カルロス・ジョビンの「One Note Samba」みたいだぞ。あれれ?

 

ということで、コンサートは北口くんのバッハで始まり、北口+鈴木で、北口作曲の「ノーモアブラームス」(これは、アントニオ・カルロス・ジョビンの「ノーモアブルース」というボサノバにブラームスが加わったような曲)、鈴木潤作曲の「マイレゲエ」と3曲進んだ後の4曲目のジョアン・ドナートの曲に、野村が客席背後から乱入する。せっかく二人がチェロとピアノで美しいアンサンブルをしているのに、プロレスラーが試合を邪魔しに乱闘するように入ってきて、ああいう人はレフェリーに追い出されるはずなのだが、相撲の浴衣生地の服を羽織り「私はベートーヴェンだ」と言って四股を踏んで、打楽器を鳴らしたりしている。そして、5曲目のジョビンの「One Note Samba」。今回のプログラムにやたらにボサノバが多いが、これは北口くんの選曲。ぼくはボサノバは嫌いではないが、そこまで興味があったわけではない。ところが、昨日『One Note Samba』の編曲をして、1音だけでメロディーだけになる仕組みを考えたジョビンは凄いし、これってある意味、楽器が不得手な人が参加できる仕組みの提案とも読めるなぁ、とジョビンを解釈すると面白く、すっかりジョビンにはまりながら演奏。最後の曲は、野村作曲の『Beethoven 250』。そのまま自称ベートーヴェンは、「政治は政治家だけが作るのではなく、市民が参加するものだ。音楽は舞台上の音楽家だけが演奏するのではなく、市民が参加するものだ。客席にいるみなさんも手拍子で一緒に音楽に参加し、心の中で歌えるように、私は単純なフレーズを何度も反復する」と語った。「市民が世界をつくり、市民が音楽をつくり、世界を変えていく。それが、私ベートーヴェンの音楽なのだ」と。そして、ベートーヴェンの音楽は、野村誠の音楽になり、鈴木潤と北口大輔の音楽であり、会場にいる人々の音楽であり、我々市民が主体的に世界を作っていくのだ、という激励のメッセージである。と同時に、そうした新しい市民参加社会を築いていく困難さと向き合う苦悩するベートーヴェンの憤りや苛立ちもあり、それでも世界を変革していきたいという強い意志もある。そうしたベートーヴェンの革命的な思いも200年の月日が経って風化して、オーソドックスなクラシックとなってしまっているけれども、でも、ベートーヴェンの精神こそ、今もう一度出会い直すべきものなのだ、と思った。ベートーヴェンのパンクなエネルギーを感じながら演奏し、子どもたちや観客の手拍子と共演できて、素敵な時間だった。そして、北口くんという素晴らしいチェリスト、潤さんという素晴らしいキーボーディストと共演するのは、本当に触発される時間だった。

 

アンコールに「テイクファイブ」を演奏。今日、デイブ・ブルーベックの伝記を読了したんだった。企画の岩田さん、関係者のみなさん、久しぶりにお会いできた名古屋の知人の方々、本当にありがとう。来年1月7日に名古屋でコンサートします。その日まで、また!!

乱入の準備中/ベートーヴェンとブルーベック

明日は名古屋でコンサート。《北口大輔がチェロリサイタルをすると思いきや‥‥野村と鈴木が乱入してみた!クラシックジャズチャンプルー》

 

90席の客席は、予約受付初日に満席になってしまい申し込みを締め切ったとのこと。予約なしだと、当日は、立ち見なら、おそらく大丈夫と思われるが、コロナなので密になれないので、確約はできない。ありがたい。

 

あっという間に受付終了といえば、10年前の名古屋。ぼく、名古屋で人気なのかなぁ?受付開始18分で入場整理券がなくなった『プールの音楽会』。その時の日記は、こちら。

 

makotonomura.hatenablog.com

 

ということで、明日の本番に向けて絶賛練習中なのだが、アントニオ・カルロス・ジョビン『One Note Samba』の確認をしているうちに、潤さんと北口くんがやっているボサノバの中に、全然違う感じのをぶち込みたくなって、突然、譜面を書き始めて、マイケル・パーソンズ実験音楽みたいになったり、バッハのようになったりと、アレンジして、潤さんと北口くんに譜面を送る。もう練習もして明日本番なのに、「乱入してみた!」だからいいかな。

 

他に乱入するために、色々、楽器を検討。John Richardsの簡易電子楽器のスーダフォンも、鳥の笛も、香港で買った銅鑼も入れた。何せ、潤さんと北口くんでアンサンブルがばっちりなレパートリーが既にあるので、こちらは、そこに何か違和感のある音や存在で登場すればいいので、なんでもありで考えるのが楽しい。

 

ベートーヴェンの生誕250年なので、今年は『Beethoven 250 - 迷惑な反復コーキョー曲』を作曲した。ベートーヴェンの主題に基づくのだけれども、知的障害者の施設で即興セッションした経験に基づく曲。そして、ベートーヴェンの執拗に繰り返したり、音階を順番に演奏するのが好きなところが、自閉症のこだわりが強いと言われる人との音楽セッションのようだと感じて、この曲を作曲した。

 

12月には、ベートーヴェンが生誕250年であるだけでなく、デイヴ・ブルーベックの生誕100年でもある。デイヴ・ブルーベックは、かの有名な5拍子の『Take 5』という曲でも有名なジャズピアニストだが、実は、今年までは大して興味がなかった。生誕100年だということで、伝記Philip Clark著の『DAVE BRUBECK a life in time』を読み始めたら、作曲家のミヨーやシェーンベルクに師事しているし、お兄さんが作曲したジャズカルテットとオーケストラの曲をバーンスタイン指揮ニューヨークフィルと共演していて、その初演を作曲家のエドガー・ヴァレーズが絶賛しているし、ポーランドショパンを弾いてくれと言われて、晩年は宗教的な合唱やオラトリオも作曲しているし、ショパン風の『Dziekuje』を作曲するし、バッハ風の多声音楽のジャズもやっているし、ブルーベックこそクラシックジャズチャンプルーなのだ。ということで、明日は、『Take 5』も演奏するし、なんとか今日中に『DAVE BRUBECK a life in time』を読了するべく新幹線の中で読んでいたが、名古屋は近すぎて、まだ10ページほど残っている。

 

ということで、明日の詳細は、こちらをご覧ください。

北口大輔がチェロリサイタルするかと思いきや・・・野村と鈴木が乱入してみた!ークラシックジャズチャンプルー | アッセンブリッジ・ナゴヤ│Assembridge NAGOYA

 

メシアンゲーム2/Pete Moserとの対談/JACSHA

1月7日に中川賢一さんとの2台ピアノで世界初演になる「メシアンゲーム2」の作曲。観客参加を伴う作品を想定して作曲した「メシアンゲーム」がコロナ禍で上演不可能なために、手拍子など参加方法を変えて作曲。手拍子にする場合に、メシアンのリズムが複雑すぎて、観客が簡単に参加できないリズムが多く困り、かと言って、手拍子以外での参加の方法を色々、考えることに。結局、観客が指でサインを送り、それを演奏者が見て演奏する漁港の競りのようなコミュニケーションを考えて、そうした要素を入れて、作曲完了。

 

Asia Pacific Community Music Networkのオンライン会議での基調講演ならぬ基調対談をPete Moserと二人でやる。ピートの5分でのプレゼンが非常にシンプルかつクリアで感心する。彼のコミュニティミュージックのプロジェクトが、賞を受賞したが、実は賞をくれた団体も審査員も、そのプロジェクトの音楽を聴いていないで賞をくれたそうだ。社会的な意義などが評価されたのだが、音楽のプロジェクトなのに、音楽に脚光が当たらないとはどういうことか?とピートは音楽そのものの重要性を訴える。長期間継続するプロジェクトの重要性、さらには、尋常ではないトンデモナイ音楽、全てを受け入れる態度、その場で瞬時に生まれて瞬時に消えていく歌を作ること、関わった人が自分自身の音楽だと思えること、などなど、5分でこんなにうまく話せるんだと、要点の詰まったプレゼンに感動。その後、野村の5分のプレゼンでは、「間違い」を「間違い」として排除するのか、「間違い」ではなく意外性のある驚きとして「排除」しないのか。創造性とアンチ排除の立場の関連について話す。次に、コミュニケーションとは何か?誤解すること、勘違いすること、そうしたずれがクリエーションに結びつく話をする。さらに、能力と障害とは何か?という話。忘れるということは、一つの見方では、記憶できないという「障害」であり、別の見方では忘れることができる「能力」でもある。人は忘れるから創造/想像できることもある。手が震える「障害」は、楽器を震わせてトレモロする「能力」でもある。障害/能力は、常に表裏一体だ。そして、香港のCCCDが主催なので、香港とのつながりということで、2年前の香港のレジデンスの話を少しだけ話す。その後、モデレーターのヴィヴを交えた対談になり、大人数のプロジェクトとして、野村の「千住の1010人」やピートの「ストリートシンフォニー」の話をしたり、ぼくの香港のレジデンスが次にピートのレジデンスプログラムへとリンクしていくように、プロジェクト自体が完結するのでなく、子どもを産むように、孫が生まれるように、次のプロジェクトが派生していくことがあること。さらには、遊ぶことの重要性。その時間を楽しむことの価値について。旅をすること、それぞれの文化に自分を適応させていくこと、ワークショップを始める時に、どのように場の雰囲気をつくるか、政治と音楽の関わりなどなど、様々な話が飛び交った。

 

(この様子は以下にビデオがアーカイブされているので、英語ですが、ご覧いただければ幸いです。)

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分科会では、東京藝術大学の石橋鼓太郎くんが「千住だじゃれ音楽祭」と「世界だじゃれ音Line音楽祭」について発表。短い時間に歴史や背景など見事に凝縮してプレゼンして、プロジェクトの魅力や面白さが伝わり、これにも感心する。その後も、7分くらいの短い発表を5つくらい聞いた後に、Q&Aコーナー。「世界だじゃれ音Line音楽祭」で、茶碗とか手作り楽器とか、ちゃんとした楽器でないものをやることに対して、軽んじたり、抵抗を感じる人もいるのでは、という質問があったおかげで、ヴァイオリンは美しい音で、茶碗は貧しい音というヒエラルキーを崩して、ヴァイオリンもいいし、茶碗もいい、それぞれの音に等価に接する態度の話をした。そのために、石だって、茶碗だって、手作り楽器だって、本気でいい音を追求し、本気で美しい音楽を作ろうとし、それぞれの音にリスペクトを持って接している。人間だってそうだ。この人はVIPで、この人は価値のない人、と区別や差別をするのではなく、多数派は聞くけどマイノリティは無視していいとかではなく、全ての人が等しく重要であるという立ち位置。そういう風に人にも音にも接したい。だから、こうした音楽の実践は民主主義の練習でもある。そういう姿勢が伝わるような振る舞いを心がけているのだと思う、という話をした。

 

今回、この会議に参加できたことは、本当に貴重な体験だった。と同時に、オンラインではなく、香港で開催されていたら、ついでに香港の美術館に行ったかもしれない。ついでに、音楽家の友人に連絡をしてご飯を食べたかもしれない。お土産を買いに出かけて、そのお土産を友人に届ける口実で友人と会う機会ができたかもしれない。会議自体がオンラインで開催できたとして、こうした余白の活動は、体験できていない。では、それをどうやって補うか。それが、今の課題だなぁ。

 

夜は、JACSHAの久しぶりのオンラインミーティング。3時間話した上に、休憩を挟んでさらに2時間話して、合計5時間。JACSHAフォーラムの冊子について、今後について、10月のレジデンスの振り返り、などなど、話まくる。