野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

拡張された家族の音楽

ヒューとエマと東京に移動する。移動中の車内で、来年5月31日に開催する「千住の1010人 in 2020年」のための楽譜を、少し整理。徐々に、曲の構想がクリアになってくる。

 

音まち事務局とミーティング。新曲についてシェア。「ファンファーレ」は、「ビッグファンファーレ」になりそう。アナンと佐久間さんは船に、メメットとガンサデワは電車に乗っていくことにもなりそう。いろいろ、構想が広がっていく、良いミーティング。

 

そして、夜は「だじゃれ音楽研究会」(=だじゃ研)メンバーとの集まりに、ヒューとエマが参加してくれた。今日は、ヒューからの提案で、彼の作品「Dementialand」を試演したいということで、試演会。興味のあるヒューの友人たちも集ったので、特別な会になった。そして、その後、エマのだじゃれソング、だじゃ研の「ほうれんそうれんそう」、ヒューの「イカをたべたいですか」をシェアして、171秒の即興もした。

 

昨日、今日と、ヒューとエマを囲んで人が集い音楽の交換をした。それは、コミュニティという言葉よりは、「拡張された家族」と呼んだ方がよい空気感だった。友人だったり、友人の友人だったりして、懐かしい人、よく会う人、初対面の人、いろいろいた。大家族の時代から核家族の時代を経て、ぼくたちは2019年という時代を生きている。ヒューを見ていると、彼の音楽が素晴らしいと同時に、彼が音楽を通して、新しい家族を作ったり、新しい村を作ったりしているようなそんな感覚に陥る。それをコミュニティという言葉で呼ぶよりも、拡張された家族と呼ぶ方が、ぼくにはしっくりきた。来年やる「千住の1010人」も、1010人という拡張された家族になるのかもしれない、と思った。ネットワーキング、コミュニケーション、コミュニティ・メイキング、いろいろな言葉がある。ヒューを見ていると、21世紀のオーケストラは、家族概念の拡張なのかもな、と思った。

Dementialand試演会

ヒューとエマが京都にいる。ヒューは、認知症の世界を描く生演奏による歌と映像による「Dementialand」という作品を作った。ぼくが、2010年に「老人ホーム・REMIX」という映像とピアノによる作品を作り、2012年に映像とピアノとダンスと写真による「老人ホーム・REMIX #2 復興ダンゴ」を作ったことへの返答のような45分の作品。今回、日本にいる間に、これをシェアしてみたいとのことだったので、我が家で試演会をした。4人だけ招いてのハウスコンサート。

 

エマが歌とヴァイオリンで加わり、ぼくも歌と鍵盤ハーモニカで加わった。ヒューはピアノと歌。認知症の人の言葉がそのまま歌になっていたり、認知症の人との体験談が歌になっていたりする。ヒューの認知症の世界に呼応する作品を、日本語でもできるかもしれない。

 

 

「ホエールトーン・オペラ」は生きている

ヒューとの「ホエールトーン・オペラ」2日目。今日は、豊中市文化芸術センターの大ホールが会場。集まってきた人々が、各自楽器を鳴らしている。ボンゴの叩き方を教えてもらったり、弦楽器だけで集まって合奏したりしている。ワークショップが始まるまでの時間が、既に音楽。

 

第3幕第2場の「治療1 傘の指揮」から始まる。傘を指揮棒にして、殿様の治療をする。殿様役を演じる人によって、傘の指揮も違ってきて、単なる指揮の合奏と違った様相を呈するところが面白い。続いて、3グループに分かれて、第3幕第3場の「治療2 梅の精」、第4場「治療3 熱唱するシンガー」、第5場「治療4 鍼」を作ってもらう。「梅の精」女声とリコーダーの美しい響き。「熱唱するシンガー」は、ギターのコードにのせてのバリトン。「鍼」は、横たわる殿様の体に、ハンドベルを置いていくので、それがお灸のようでもあり、心電図のようでもあり、見た目にも面白い。第7場の「カバに電話しよう」は、「どうしよう?」が「しょどう」になるシーン。「どう」と「しよう」に分かれた合唱を、二人の指揮者が指揮をするシーンになった。第8場「黒と白」を楽器で大合奏し、第9場「パワーオブラブ」をホエールトーン音階で作詞/作曲し、歌いにくい歌だけれども頑張って練習。第11場の「仮面舞踏会」までやって午前は終了。

 

午後は第4幕には行かずに、昨日やった1幕から順番にやってみた。映像の山城さんも来ているので、撮影していく。15年前にワークショップで生まれた音楽を、昨日、再創造したけれども、今日、また昨日の音楽をそのままなぞるのではなく、再創造することになる。こうやって、15年前の音楽が形を変えながら生き続けているのが、面白く嬉しい。1幕から3幕までの数々の曲を演奏して撮影して、午後のワークショップも終了。

 

ヒューと野村で、「ホエールトーン・オペラ」を作ったのが、15年前(2004)とか14年前(2005)で、その後、日本での全幕上演(2006)、愛知でのワークショップ(2008)、イギリスの5つの小学校合同での第2幕や大学生との第3幕(2009)、イギリスでの全幕上演(2010)をやった。その都度、個性的なゲスト(梅津和時山川冬樹、チャールズ・ヘイワード、あいのてさん、など)を招いたが、今回の日本センチュリー交響楽団ボーンマス交響楽団のようなオーケストラ楽団員が加わったのは、初めてだ。オーケストラ・プレイヤーは、ソリストとは違った関わりだ。ソリストは、自分の音楽的な個性を強く前面に出してくるが、オーケストラプレイヤーは、アンサンブルの中に、自分の音を溶け込ませていく。参加者と参加者をつなぐ糊の役割で、人と人、音と音をつないで、アンサンブルを成立させていく。だから、個性的な参加者たちが自由に音を出していても、アンサンブルが見事に成立していたのは、オーケストラプレイヤーの存在が非常に大きい。

 

あと、エディが言っていたことだが、これほど実験的な音楽ワークショップは初めてとのこと。2歳から70代の人まで参加していているのに、一般的なわかりやすい音楽ばかりでなく、時にはブーレーズの音楽のような響きになることが、驚異的だと言う。

 

15年前に、関西空港にヒューを迎えに行って、空港から移動する電車の中で、ヒューと最初の打ち合わせをしたことを思い出す。「5日間のワークショップで何分のオペラができると思う?」とぼくが尋ねた時に、ヒューは確か20分と答えた気がする。そして、その後に「楽観的すぎる?」と聞いてきた。結局、5日間で50分の作品になり、それは、1年半後には、3時間を超える大作になっていた。15年後も、まだ「ホエールトーン・オペラ」やってるかなぁ。

 

 

ホエールトーン形式 - 野村誠の作曲日記

 

コミュニティ音楽の二つの文脈

ヒューとエマが京都の我が家に移動。

 

船岡山建勲神社大徳寺などを観光する。

 

我が家で、ヒューの認知症の人とのコラボをモチーフにした作品を練習。

 

潤さん、里村さんと、鍋を囲み語り合って後、ジャーナリストの岡本さん宅で、ヒューと語り合う。

 

ヒューの言葉で印象的だったのは、コミュニティ・ミュージックについての分析。「コミュニティ・ミュージック」という言葉に、二つの文脈がある。一つは、オーケストラとかオペラとかに対して、政府が使う。一部の富裕層にだけ訴えかけるような芸術には、公的なお金を出せない、という文脈。オーケストラには、女性の指揮者が少ないのはおかしい。黒人のプレイヤーが少ないのはおかしい。障害者のプレイヤーがいないのはおかしい。という使い方。もう一つは、左翼から出てきた文脈。全ての人々が繋がって社会参加していく。その際に、音楽が有効だ、というもの。ストリートカルチャー、市民参加。この二つの全く違う文脈から出てきたものが、一つの概念になっている。

 

もう一つ印象的だったのは、学生時代に、ヒューがドイツのミュンヘンで路上演奏をした話。午前中に、富裕層の主婦が買い物に行く時間帯に2時間ほどクラシックを演奏するだけで、お金がたくさん集まり、宿泊費や生活費が余裕で捻出できたそうだ。そして、昼間は遊んで過ごし、夜、路上でジャズやロックを演奏したそうで、若者が集まって大いに盛り上がったがあまり稼げなかった。でも、とても楽しかった、という話。

 

 

 

 

 

「ホエールトーン・オペラ」は生きている

ヒューとの「ホエールトーン・オペラ」2日目。今日は、豊中市文化芸術センターの大ホールが会場。集まってきた人々が、各自楽器を鳴らしている。ボンゴの叩き方を教えてもらったり、弦楽器だけで集まって合奏したりしている。ワークショップが始まるまでの時間が、既に音楽。

 

第3幕第2場の「治療1 傘の指揮」から始まる。傘を指揮棒にして、殿様の治療をする。殿様役を演じる人によって、傘の指揮も違ってきて、単なる指揮の合奏と違った様相を呈するところが面白い。続いて、3グループに分かれて、第3幕第3場の「治療2 梅の精」、第4場「治療3 熱唱するシンガー」、第5場「治療4 鍼」を作ってもらう。「梅の精」女声とリコーダーの美しい響き。「熱唱するシンガー」は、ギターのコードにのせてのバリトン。「鍼」は、横たわる殿様の体に、ハンドベルを置いていくので、それがお灸のようでもあり、心電図のようでもあり、見た目にも面白い。第7場の「カバに電話しよう」は、「どうしよう?」が「しょどう」になるシーン。「どう」と「しよう」に分かれた合唱を、二人の指揮者が指揮をするシーンになった。第8場「黒と白」を楽器で大合奏し、第9場「パワーオブラブ」をホエールトーン音階で作詞/作曲し、歌いにくい歌だけれども頑張って練習。第11場の「仮面舞踏会」までやって午前は終了。

 

午後は第4幕には行かずに、昨日やった1幕から順番にやってみた。映像の山城さんも来ているので、撮影していく。15年前にワークショップで生まれた音楽を、昨日、再創造したけれども、今日、また昨日の音楽をそのままなぞるのではなく、再創造することになる。こうやって、15年前の音楽が形を変えながら生き続けているのが、面白く嬉しい。1幕から3幕までの数々の曲を演奏して撮影して、午後のワークショップも終了。

 

ヒューと野村で、「ホエールトーン・オペラ」を作ったのが、15年前(2004)とか14年前(2005)で、その後、日本での全幕上演(2006)、愛知でのワークショップ(2008)、イギリスの5つの小学校合同での第2幕や大学生との第3幕(2009)、イギリスでの全幕上演(2010)をやった。その都度、個性的なゲスト(梅津和時山川冬樹、チャールズ・ヘイワード、あいのてさん、など)を招いたが、今回の日本センチュリー交響楽団ボーンマス交響楽団のようなオーケストラ楽団員が加わったのは、初めてだ。オーケストラ・プレイヤーは、ソリストとは違った関わりだ。ソリストは、自分の音楽的な個性を強く前面に出してくるが、オーケストラプレイヤーは、アンサンブルの中に、自分の音を溶け込ませていく。参加者と参加者をつなぐ糊の役割で、人と人、音と音をつないで、アンサンブルを成立させていく。だから、個性的な参加者たちが自由に音を出していても、アンサンブルが見事に成立していたのは、オーケストラプレイヤーの存在が非常に大きい。

 

あと、エディが言っていたことだが、これほど実験的な音楽ワークショップは初めてとのこと。2歳から70代の人まで参加していているのに、一般的なわかりやすい音楽ばかりでなく、時にはブーレーズの音楽のような響きになることが、驚異的だと言う。

 

15年前に、関西空港にヒューを迎えに行って、空港から移動する電車の中で、ヒューと最初の打ち合わせをしたことを思い出す。「5日間のワークショップで何分のオペラができると思う?」とぼくが尋ねた時に、ヒューは確か20分と答えた気がする。そして、その後に「楽観的すぎる?」と聞いてきた。結局、5日間で50分の作品になり、それは、1年半後には、3時間を超える大作になっていた。15年後も、まだ「ホエールトーン・オペラ」やってるかなぁ。

 

 

 

「ホエールトーン・オペラ」から15年

ヒュー・ナンキヴェルとの「ホエールトーン・オペラ」。今から15年前の2004年に、日本で第1幕、イギリスで第2幕を作り、14年前に日本で第3幕、イギリスで第4幕を作った。あの当時のヒューと野村の共同作曲のノウハウが詰め込まれた48のシーンを、15年経ってヒューと大阪でやるのは感慨深い。と同時に、そんな過去の自分たちの成果に甘んじるのでなく、全く新しいことにチャレンジすればいいのに、という気もしていた。だから、阪急電車に乗って、曽根駅に向かう道中、「ホエールトーン・オペラ」を如何に解体するか、今日しかできないことに取り組むんだ、という気持ちを高めて向かった。

 

ワークショップが始まると、ヒューは自己紹介を始めると同時に、いきなり法螺貝を吹き始め、みんなに真似をさせ、気がつくと、そのまま「寒い」と言い始めて、それは、「ホエールトーン・オペラ」の第1幕の第1場の「寒い」だと、ぼくにはわかった。そして、手遊びして後、ぼくにバトンタッチしてきたので、ぼくも「ホエールトーン・オペラ」の題材を導入の活動にすることにした。第1幕の第4場の「どうやって実がなるの」で、参加者みんなで声の偶然のハーモニーを遊ぶ。それを受けて、ヒューが第1幕の第5場の「バナナケーキレシピ」をやり、みんなで言葉のアンサンブルを楽しむ。そろそろ楽器をやりたいと思って、ぼくが「鍵盤ハーモニカイントロダクション」をやって後、即興で合奏。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ギター、トロンボーンクラリネット、鍵盤ハーモニカ、ハーモニカ、リコーダー、様々なパーカッション、カズーなど40名ほどの即興のオーケストラ。第1幕第7場の「うさぎが体重計とバレエシューズを持ってくる」を、うさぎのイメージで演奏して後、子どものジャンプする指揮。第1幕第8場の「体重減らそう」が即興で歌われて後、第1幕の第10場「ニュー民謡」をつくる。8分の7拍子になって、4つのアレンジができて、午前の2時間が終了。

 

昼食後に、第2幕第1場の「序曲」に取り組む。これが、声のオスティナート、弦楽器のメロディー、管楽器のメロディー、打楽器チームのベース、の4つが非常に面白い食い合わせになり、カール・オルフとチャールズ・アイヴズとラテン音楽古楽が合体したような見事な音楽になった。あまりにも素晴らしかったのに、ヒューが録音をし忘れたので、この音楽は残っていない。その後、第2幕第2場「すもうガールの哀歌」と、第2幕第4場の「庭にあるもの」第2幕第5場の「Purple Orchid」にあたる3つの歌をグループに分かれて創作。ボーンマス交響楽団の音楽家、日本センチュリー交響楽団の音楽家が加わっているので、それぞれのグループがとても楽器的にも充実。その時、3つのグループのどれにも加わらずに楽器で自由に遊んでいる小さい子どもたちが3人いたので、グループ活動は音楽家たちに委ねて、ぼくは3人の子どもとのんびりと遊んだ。3人の子どもたちと一緒に、3つのグループを巡回し、子どもたちと仲良くなった。旋法的な「なみだ」という哀愁ある歌、日本人だけで英語のみの歌詞で作った「マジカルメディスン」、そして、イギリス人も歌えるように考えたアクションがいっぱい入った「にわにわにわとり」の3つの歌が、本当に面白い。第2幕第6場の「魔女の呪文コケラトイ」をやって、魔法のブランケットを使って遊ぶ。子どもたちが大はしゃぎ。第2幕第7場の「魔女の魔法」を楽器で渋く演奏して後、第2幕第10場の「フィナーレ」を賑やかに演奏。午後の2時間半もあっという間。最後に10分残ったので、アンコールで、今日やった曲を3曲だけやってみた。「にわにわにわとり」と「魔女の魔法」「フィナーレ」。

 

15年前にヒューと一緒に作った音楽を、こうして15年後にワークショップで再創造してみて、その後の15年間にお互い色々経験してきたので、15年前よりも自由度が増していると感じた。お互いの原点を確認しつつ、信頼し合って、どんどん創作していけること。さらには、15年前よりもお互いへの理解が深まっていると感じた。そして、参加しているメンバーも、とても魅力的な人たちで、ヘトヘトに疲れたけれども、本当に楽しい時間だった。

 

明日も丸一日!ヒューとの4日目が待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒューとの濃密な2日目

ヒューと野村とボーンマス交響楽団と日本センチュリー交響楽団によるコラボ企画。本日の午前中に、トレーニングという名のもとに、色々な交流が行われて後、午後は野田住宅にて、ワークショップ。これだけ多くの音楽家でワークショップに行くのは、非常に贅沢な体験。ブームワッカーでのセッションや、即興、指揮者による即興、チャチャブルースとソロ回し、イギリスのホーンパイプと踊り、日本の歌、トーンチャイム、などなどが、即興的に展開していき、最後にインスタントソング「イギリスバイバイ」を作って歌った。

 

ちなみに、昨日、BSOは、James Rose(イギリスで初の障害のある指揮者)がBSO Resound(イギリスで初の障害のある人のプロのオーケストラ)を指揮することでイギリスの音楽賞を受賞したとのこと。

 

Disabled musicians recognised with prestigious classical award - Bournemouth Symphony Orchestra

 

明日からは、ヒューと2004−05年につくった「Whaletone Opera」のワークショップをする。15年前のものを起点にしながら、新しい音楽を創造していく試み。

 

【主催】ホエールトーンオペラ ワークショップ ~こどもクラシックの日特別編~ | 豊中市立文化芸術センター