野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

7曲できた

鳥取でのクリエーション。鳥取銀河鉄道祭の秋の公演 ゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」(11月2日、3日)に向けて。

 

午前中は、鳥取少年少女合唱団のリハーサルを見学。この合唱団にも出演していただく予定。幼稚園から高校生までの40名ほどのこどもたちがいた。これだけ年齢の幅がある子どもの団体はなかなかないので、こどもたちにとっても、違った年齢の人と接する貴重な機会になっている。

 

午後は、鳥取大学にて、音楽チームのワークショップ。国籍も(中国、ニュージーランド、日本)、年齢も(小学生、大学生、大人)混在し、楽器も(ヴァイオリン、パーカッション、てづくり楽器)混在。いい感じ。

 

いきなり即興でやってみるところから、1曲目「夜のピカピカ」が生まれ、全員でトーンチャイムの響きを味わう「どうくつ」が2曲目。メトロノームに合わせて、木琴をひたすら叩く「活版所」が3曲目。「ふとんがふっとんだ」のリズムで演奏する4曲目。5曲目は、ジョバンニとカンパネルラの音の「会話」(リコーダーとヴァイオリン)。6曲目に「さそりの祈り」をグレゴリオ聖歌を参照して作曲。初回から、いっぱい曲のタネができた。

 

その後、鳥取西高校の合唱部との顔合わせ。いきなり、合唱部の皆さんのレパートリーを歌ってもらい、野村が初見でピアノ伴奏で共演。その後、ワークショップで生まれた歌「さそりの祈り」と「いつの間にか銀河ステーション」を合唱部の皆さんに歌ってもらい、最後に、合唱部の皆さんと、手拍子のリズムをベースに、「いまこそわたれわたりどり」を作曲。

 

本日は、7曲も曲ができたので、11月の公演に向けて、手応え十分。

 

 

 

 

 

ヘビよカエルよ!作曲が終わるぞーー!

昨日、一昨日で、ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」のイメージが、どんどん明確になっていったこともあって、今日は、作曲も大詰めなので、缶詰になって作曲したくて仕方がないが、鳥取に遠征なのだ。

 

でも、家を出る直前まで、譜面を書き続けていて、京都駅で高速バスに乗った後、結局、バスの中でも譜面を書き続けて、鳥取に着くまで、ほぼノンストップで作曲。へーー、こんな曲になるんだーーー!書き始めた時には、まったく予想もしていなかった音楽だけれども、そして、なんだかんだ言っても、野村誠の音楽なので、やっぱり野村誠らしい音楽なんだけれども、でも、こんな音楽が立ち上がってきたーーーーー。いろいろあったけど、やさしい気持ちになれたような、自分の中から違った感情が湧き上がってきて、自分の無意識の奥底の鉱脈をたどっていった感じもして、これで、佐久間さんと砂連尾さんが踊ってくれるなんて、幸せすぎると思う。巖埼友美さんと吉岡奏絵さんと野村の3重奏だけど、3人だけが奏でているんじゃない。そこにいない人々がうたっている。椅子も歌い、脚立も歌い、机も歌い、山も歌い、川も歌い、雲が歌い、煙が立ち上り、蚊取り線香も歌い、星々が歌い、月が歌い、香港が歌い、インドネシアが歌い、会ったことのないベン・スハルトさんが踊る。ヘビよカエルよ!思う存分、歌うがよい。踊るがよい。香港フィルを指揮するがよい。あなたとわたし、わたしとあなた。問題行動ショー。

 

と興奮して作曲していたら、鳥取駅に着く。あ、3時間20分がいつの間にか経っていた。鳥取銀河鉄道祭の野口くん、木野さんと軽くお話。ホスピテイルの赤井さんとも、ちょっとお話してのち、温泉つかって、気分を入れかえ、明日からは、宮沢賢治!レッツゴー!

【主催】TOYONAKA ART TRIBE #2ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」 ヨソモノになるための練習曲 | 豊中市立文化芸術センター

 

 

 

 

 

 

 

 

見えないは見える

JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)の世話人の里村真理さんと打ち合わせ。「オペラ双葉山」の今後の展開に向けて、いろいろ書類作成など。通常、一人で行う作曲を複数で行う共同作曲にずっと取り組んできたけれども、書類の作成も複数で作っていくのは、面白い。相互作用があって、インタラクティブな場になるので、一人だと思いつかないことが発想できる。そこに、ぼくは可能性を感じて、共同作曲をテーマにしてきたのだろう。

 

ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」の公演が近づいてきている。砂連尾理さんと佐久間新さんという尊敬する二人のダンサーのデュオダンスのために、新曲を作曲している。コンセプトを持たずに、どんな全体になるかをイメージせずに、毎日、ひたすら譜面を書いて、こねくりまわす。ある種の粘土遊びのような感じで作曲しているが、粘土をいじっているうちに、徐々に、何かが立ち上がってくるように、曲の輪郭が少しずつ見えてきていて、大詰め。今週末には完成の見込み。作曲しながら、香港での様々な出会いが想起され、そうしたことが曲の中に浸透していく。さらには、ジャワ舞踊の達人がイメージされたり、亡き砂連尾さんのお父さんをイメージしたりもする。そして、ヴァイオリンの巖埼友美さん、クラリネットの吉岡奏絵さんの音色も思っている。作曲している時、ぼくは自宅で一人で作曲しているようだが、そこに不在の人たちの存在を感じて、作曲している。一人で作曲していても、不在の人々との共同作曲のつもりで臨んでいる。だから、ぼくが作曲で目指していることは、演奏している人だけでなく、いろいろな人の声が響くことだ。

 

昨日に引き続き、「問題行動ショー」の公演会場であるアクア文化ホールに行く。今日は、砂連尾理さんと会場下見。砂連尾さんと会場を見ながら、公演のアイディアをディスカッションする。照明の藤原さん、プロデューサーの柿塚さんも加わり、あーだ、こーだ、けーだと語り合う。ホール閉館後も、場所を変えて話し合い、そこに佐久間新さんも合流。「ひとり相撲」とは見えない神様と踊るダンス。または、不在の人と踊るダンスかもしれない。香港で出会った数多くの人々のうち、13名も来日して出演してくれるが、もちろん、舞台上に不在の様々な香港で出会った人々は不在だ。例えば、香港で一番濃密に関わったベリーニだって来ない。そうした見えない人々を感じられるようなダンス、見えないは見える。「カエルとヘビ」の不思議な歌。砂連尾さん、佐久間さんと話しているうちに、まだ見えないはずの本番の舞台が見えた。「見えないは見える」、「見えないはダンス」。その場にいる人、その場にいない人、いろいろな人と時間と場を、ワープできるような公演になる。

 

 

http://www.toyonaka-hall.jp/event/event-12190/

 

 

 

問題行動ショーの会場下見

昨日、「天安門事件」のことを書いたが、今日は、「平和と音 (平和研究第51号) | 早稲田大学出版部」という本の情報を知った。なんでも、作品概要のところに

 

平和を奏でる音、平和を表現する音。
カントの思想とEDM、ジェフスキー、カーデュー、高橋悠治野村誠ら現代音楽、ボブ・ディランという音……平和をめぐる多様な「音」を論考する。

とあった。誰かが、ぼくのことも論じているようなので、どんな風に書かれているのか気になった。それにしても、ジェフスキー、カーデュー、高橋悠治、という自分の親世代の3人の先輩作曲家と並べていただき光栄だ。この3人と並ぶのは、通常は、野村誠でなくクリスチャン・ウォルフ。でも、クリスチャン・ウォルフは鍵盤ハーモニカのための作品も書いている稀有な作曲家で、野村誠とクリスチャン・ウォルフは近いのかもしれない。

 

ノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」まで、残り4週間を切った。本番は、6月29日。即興でも演奏するけれども、今回、新曲を書き下ろしもやっていて、クラリネットとヴァイオリンとピアノの曲。この新曲で意識しているのは、できるだけ時間をかけて、こねくりまわして作曲すること。毎日、手を動かして、どんどん譜面を書き変えていくこと。だから、日々、曲が変化していき、上書きされていくのが楽しい。最終的に、どんなものが生き残るのだろうか。

 

本日は、本番の会場であるアクア文化ホールにて、ダンサーの佐久間新さんとのリハーサル。佐久間さんがジャワ・ガムランの曲を歌う姿を見るだけでも、この人の個性が溢れ出てくる。ワークショップでつくった歌を歌って聞かせてくれるだけで、異様な雰囲気を醸し出す。作曲中の曲にフィードバックできそうなアイディアもいっぱい転がっている。さっそく、帰ったら書き足そう。

 

その後、会場下見と打ち合わせ。プロデューサーの柿塚さん、照明の藤原さん、舞台監督の高岡さんと、現場でチェックすることで、いろいろアイディアが練り上げられていく。上演時間は、おそらく第一部が50分、第二部50分で、休憩込みで2時間弱になる見込み。しかし、砂連尾さん、佐久間さんから提案されているアイディアがいっぱいあって、このままだと3時間の公演になってしまうので、何を削ぎ落とすかを語り合うことになる。そして、どれも面白いので、簡単にボツにできない。しかし、今回の会場にマッチしているアイディアはどれか、と考えていくと、徐々に、何をやるべきか、何をやらないべきかが見えてくる。とは言うものの、何かを削ぎ落としたと思ったら、また面白い案が出てきたりする。でも、創造的というのは、そういうことだし、それでいいと思う。当日は、開演前から終演後までパフォーマンスするかもしれないので、物好きな人は早めに来てもらってもいいかもしれない。

 

ちなみに、今回は指定席で、490席ある会場なので、より見やすい席が確保できる意味で、早めに申し込むのがオススメ。最後列(17列目)でも、客席が傾斜しているので、見えるし聞こえるけれども。

 

帰りの電車の中でも、藤原さんと、ああでもない、こうでもない、と語り合い、公演のイメージがどんどん浮かび上がってくる。

 

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天安門事件から30年

6月4日という日は、去年までは特別意識する日ではなかった。6月4日は、天安門事件が起こった日だ。昨年はモックさんに連れられて、野外で10万人もの人が集うキャンドルナイトに参加した。今日は天安門事件から30年だ。中国が民主化する最大のチャンスだった30年前。中国が30年前に民主化していたら、ひょっとしたら30年前にベルリンの壁が崩壊したように、韓国と北朝鮮も一つの国に戻れていたかもしれないし、世界の情勢は大きく変わったかもしれない。でも、30年前に勇敢に抗議し武力鎮圧され命を落とした人々の思いは決して消えない。モックさんと語ったことを、たくさん思い出す。「革命は明日起こる。だから、それに備えなければいけない。準備しなければいけない。例えば、コミュニティ・ミュージックも、そのための準備になる。与えられた歌を歌うのでなく、自分たちが歌う歌を自分たちでつくる。コミュニティ・ミュージックって、そういうことだろ。」

 

イギリスから、BBC PromsのFestival Guideが届いた。ぼくは、このフェスティバルに出演するわけではないが、この冊子のP.42に大きく「しょうぎ作曲」の楽譜が掲載された。a graphic score by Japanese experimental composer Makoto Nomuraと紹介されている。こうして紹介されるのは嬉しい。

 

久しぶりに小学2年生のJくんと音楽する日。ミニカーがいっぱいあって、それらも楽器になる。タイヤの音も面白い。阪急電車京阪電車のミニチュア模型もあり、ボタンを押すとアナウンスなども入る。Jくんは、それらの音とキーボードのリズムをミックスして音楽をする。電子ピアノの自動演奏で「きらきら星変奏曲」を鳴らしながら、自分できらきら星を弾いたりする。自由でいい。

 

夜は、「問題行動ショー」のための作曲などを、少し進めた。

 

 

 

 

 

ポストワークショップ

野村さんは、いろいろなところでワークショップをやっていますけど、ルーチンにならないんですか?いつも、新しい発見がありますか?

 

昨日、質問された。はっきり言って、新しい発見がないのならば、ワークショップを断るだろう。実際、毎回、いろいろな現場で、新しい試みをしているし、新しい発見がいっぱいあるのだ。

 

ところが問題なのは、こんなに新しい発見があったりするのに、そのことがその場にいなかった人とシェアされないことだ。つまり、そこで、どれだけの出来事が起こったとしても、そこにいなかった人にとっては、何もしていなかったことになってしまう。または、毎回、同じようなことが起こっていたのだ、と思われてしまう。そして、さらには、その場にいた自分自身でさえ、そのことを忘れてしまいかねない。

 

だから、そのことを、どうやって残すのか。どうやってその場にいない人とシェアするのか。それが、ぼくの大きな課題になった。そのことを、ぼくはポスト・ワークショップと呼ぶようになった。ワークショップの前に準備するよりも、ワークショップの後に、そこで起こったことを、もっともっと味わうことに価値を置くようになった。だから、ワークショップで起こったことを下敷きに、ポストワークショップとしての作品をつくるようになった。それは、自分自身が体験したかけがいのない時間と発見を真空パックするような感じだ。

 

昨日、一昨日のワークショップ参加者の一人から、「10年前の福岡市美術館でのワークショップに息子が参加していて、『ルーレットNo.1』という絵を演奏しました」と声をかけられた。ぼくは、この10年間の間に、福岡市美術館でのワークショップに基づくピアノ曲集を何度も演奏してきたので、「ルーレットNo.1」と言われただけで、10年前にクラリネットを持った彼が、どんな演奏したかを、瞬時に思い出せる。福岡市美術館でのワークショップでぼくが受け取った刺激は、ピアノ曲という形に変わり、ずっと咀嚼し続けている。

 

しかし、すべてのワークショップに対して、ポストワークショップとしての作品をつくっているわけではなく、時間があれば、まだまだ作りたいポストワークショップの作品が山ほどある。

 

昨年3ヶ月、香港のi-dArtの招聘で、香港の知的障害の人々と膨大な数のワークショップをし続けた。そのことを自分なりに咀嚼するのが、6月29日のノムラとジャレオとサクマの「問題行動ショー」だ。京都に戻って、また少しだけ作曲した。作曲するたびに、香港での日々のことを思い出している。

 

6月29日には、13名の強烈なパフォーマーが香港からやって来る。彼らの着る衣装のリクエストを4月に伝えたのだが、今日は、衣装の写真が送られてきた。

 

福岡から京都に戻り、洗濯して、ちょっとだけ作曲して後、日本相撲聞芸術作曲家協議会の打ち合わせ。

 

 

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障害からひろがる表現とケア 2日目

九州大学に来ている。「身体表現ワークショップ 障害からひろがる表現とケア」の二日目。ワークショップのタイトルから、この二日間10時間のワークショップのぶっ飛び具合は、なかなかイメージできないかもしれない。ワークショップの講師として二日間関わったのだが、関わった当事者として、少しでも現場の空気を伝えられたらと、言葉にしたい。

 

今朝は10時半からスタート。まずは、里村歩さん(あゆきち)のレクチャー。あゆきちは、レクチャーの原稿を、事前に長津くん(長津結一郎=九州大学の先生、この企画の首謀者)に渡していて、アユキチが一文語ると、同じ内容を長津くんが語る。本人曰く、アユキチの言葉は言語障害があり聞き取りづらい。でも、文字ボードを指してコミュニケーションをすると、相手の表情を見て会話することができないので、もどかしい。アユキチが一生懸命語る声を、息を呑んで聞く。そして、長津くんが同じ文章を語る。アユキチの言葉と長津くんの言葉は、同じ文章の反復なのだが、全く違うテンションで繰り返される。アユキチが演劇を始めた時のこと、演劇で思いを伝えるとはどういうことなのかを模索した体験談。そして、思いを込めた声。全身全霊で発せられる言葉は、うた、そのものだった。うた、うったえる、うた、うたれる、うた、うた、うた。ぼくは、このアユキチのレクチャーという歌の伴奏をしたいと思った。今度、ピアノで伴奏したいと申し出た。アユキチも承諾してくれた。

 

続いて、廣田渓さん(ケイ)のレクチャー。ケイは筋ジストロフィーという障害があり、筋肉が衰えていくという。ケイの発語は非常にクリアで、会話には何の障害もなく、理路整然と自己の体験を語ってくれる。演劇を始めた時に、いかに恥ずかしかったかも語ってくれる。そして、重度障害者が重度障害者を演じる演劇をした話をしてくれる。昨日のモリッチは、体の力が抜けず、エネルギーを消耗するので、それに適う筋力トレーニングをしていた。逆に、ケイの場合は、筋肉トレーニングをすると、筋肉が消耗し回復せずに、どんどん筋力が落ちてしまうので、決して筋力トレーニングをしてはいけない。身体障害と一言で言うが、それぞれ全く違う。そして、それぞれの全く違う体、まったく違う困難、まったく違う努力や工夫があり、それぞれの個性がある。ケイの体をみんなに触ってもらう時、アユキチとモリッチが上半身裸になって、マッチョアピールを始めた。

 

そして、ケイとアユキチで、昨年12月にやった演劇公演のワンシーンを、急にお願いしたら、やってくれた。これは、本当に笑い転げるほどに面白かった。二人で電動車椅子を操作しながら、絶妙な掛け合い漫才をする。

 

昼食前に、ワークショップ参加者全員で自由に身体を動かし、楽器を鳴らす時間を設けた。つまり、自由な集団即興。ぼくは途中からピアノを弾いた。ピアノは、全身を使って全力で弾かなくても結構、演奏できる楽器でもある。でも、モリッチが、歩いている行為は、全身で全力で行うフルパワーの行為だ、とのメッセージに触発され、できる限り、自分の全力でピアノを弾いてみようと思って、弾いた。もっと体力を使って弾けるのではないか。もっと全身の力を全部使ってみようと思って弾いた。汗がどんどん湧き出るまでは弾こうと思って弾いた。遠田誠も全力で踊っている。それぞれの人が、それぞれの身体にとって、それぞれの気持ちにとっての限界と格闘していた。エネルギーを十分に使い果たして、昼食へ。

 

昼食は、みんなでお弁当持参で食べる。交流することも、そして、食事の介助を交代でする。ここでの交流も濃密。

 

午後の講座が始まる頃、ケイがピアノを弾いている。それは、不思議な不条理な雰囲気を醸し出す怪しげな音だった。ケイはどうして、このようなピアノが弾けるのだろう。ジョホンコ(=倉品淳子)が即興でセリフを言っている。ぼくも、鍵盤ハーモニカで加わり、途中からトイピアノ、さらには、声のパフォーマンスへと移行していく。エンちゃん(=遠田誠)も全霊で踊っている。何人かワークショップの参加者も加わって、おどろおどろしい即興が続いていると、メイ(=吉野さつき)が「門限です」と言って、強制終了。我々、「門限ズ」には、「門限です」と言う強制終了システムがあり、この強制終了があるからこそ、いつでも安心して、遠出できるのだ。

 

午後は、メイによる午後の進め方の説明に、エンちゃんの悪の化身が足つぼアタックをする「レクチャー✖︎足つぼ」で開始し、3グループに分かれて、昨日の遠足を題材にパフォーマンスを創作した。3グループともに、演劇、ダンス、音楽の要素が入った短いパフォーマンスをつくっていて、しかも、どれも違うキャラクターになっていた。

 

その後、それらの3つに、門限ズが演出をトッピングして、発展させるコーナーをして、気がつくと2日間10時間の講座は、既に9時間35分が経過していた。

 

そして、最後に、長津くん司会進行によるディスカッションの時間。10時間を超過して、16時を過ぎて終了した。皆さん、本当に本当におつかれさま。

 

印象深かったのは、記念撮影の後も、帰らずに語り続ける人がいっぱいいたこと。1時間経ってもまだ話続けていて、部屋を追い出されても、さらに、1階のロビーで語り場が続いたこと。

 

昨年も面白かったのだが、今回、身体障害のある3人の講師と、門限ズが、昨年以上にコラボできた実感があり、これは、本当に面白いカンパニーと言えるのでは、と思えた。そして、自分自身50歳という年齢で、今後も身体表現を続けていく上で、老いによる身体機能の低下は、全く無視できる問題ではない。しかし、重度の身体障害がある彼らにとって、わずかな身体機能の低下は、歩行から車椅子へ、車椅子から寝たきりへ、と日常を激変させることに直結する。だからこそ、身体機能を維持するために、トレーニングだったり、マッサージだったり、日々努力している。ぼくは、自分自身が自分の体調管理に自覚的であるつもりだったが、自分がいかに自分の与えられた身体を大切にしていないかを、あらためて自覚させられた。彼らの努力を思うと、ぼくがぼくの身体機能をフル活用するために、できることはまだまだある。これまで、ぼくは老いによる体力低下に対して、脱力による体力セーブの方法を体得することで、カバーしようと思っていたのだ。しかし、体力セーブができるようになることと同時に、そもそもの筋力を維持したり、体力の低下に抗う努力をすることで、パフォーマーとして、まだまだ成長していけると、今後の可能性を示された気がした。本当に、素晴らしい教えをありがとう。

 

夜は、門限ズで、鳥取での11月2日、3日に行うゲキジョウ実験!!!「銀河鉄道の夜→」に向けてのミーティング。公演の構成案を具体的に作成。ぼくの来週の音楽ワークショップ、7月の演劇/ダンス/音楽の合同クリエーションに向けて、具体的な道筋を詰めていくことができた。福岡の良いエネルギーが鳥取にも飛び火していきそうだ。