野村誠の作曲日記

作曲家の日記です。ちなみに、野村誠のホームページは、こちらhttp://www.makotonomura.net/

森まもり&プラネタリウム

鳥取銀河鉄道祭というのは、今年の11月まで、88の星座を巡るように続いていく。11月に最後のフィナーレとして行う公演があって、そこが88番目になる予定。それまで、鳥取に通って、一つ一つの星座のワークショップだったり、トークだったり、いろんなことが起こる。

 

鳥取県は、鳥取市などの東部、倉吉市などの中部、米子市などの西部の3エリアに分かれていて、鳥取から倉吉まで車で1時間。鳥取から米子まで車で2時間。同じ県でも、東部と西部は結構遠く、鳥取と米子では雰囲気も違う。ということで、本日は、鳥取から米子まで日帰りで移動。

 

米子の児童文化センターでの「森まもり」という音楽+演劇ユニットのパフォーマンスに、門限ズで乱入。児童文化センターなので、親子連れの観客が多く、子どもたちの反応も面白い。

 

その後、プラネタリウムでのリハーサル。これが、とにかく面白い。プラネタリウムの解説員の森山さんは、星が大好きで非常に柔軟で、なんでもチャレンジできる逸材。こんな人が、門限ズと出会って一緒にパフォーマンスがつくれるのは、奇跡。プラネタリウムでできることは、なんでもやってみたいと、光と影のダンスを試したり、投光器と音楽や演劇のセッション。星空に星座の絵が次々に現れるのと音楽をシンクロさせたり、そこに即興で演劇が加わったり。プラネタリウムの中を移動する不審な人が現れたり。試せるアイディアを全部試し、森山解説員が全力で応えてくれた。プラネタリウムで演奏したのは、おそらく1996年に王子のプラネタリウムで演奏して以来、23年ぶり。あの時は、単にプラネタリウムという場所を使っただけだったけど、今回は、がっつりプラネタリウムとコラボレーション。前代未聞の夢の「プラネタリウム劇場」。4月27日、28日に、40分の公演を計4回。本当に楽しみ。

 

 

 

振り向けばザネリ、鳥を捕る人

鳥取での門限ズの滞在制作はつづく。

 

今朝は、鳥取市交響楽団の井上さんとの打ち合わせ。現代音楽が大好きなチェリストである井上さんとお話できるのは、貴重な時間。11月の公演は、鳥取県民が主役で、門限ズの作品づくりの大部分は、色々なタイプの県民が活躍できるプラットフォームをつくること、そうした人々の出会いをコーディネートしていくこと、そして創造的な活動のサポートをすること、など。オーケストラが加わってもらえると嬉しい。

 

打ち合わせの最中に、門限ズの演劇担当のジョホンコ(倉品淳子)の演劇ワークショップ「振り向けばザネリ」が行われている。終わり頃に、駆けつけると、「銀河鉄道の夜」の登場人物のザネリの台詞を題材に、シーンが作られていた。宮沢賢治の小説のたった一行の言葉「らっこの上着がくるよ」を掘り下げていた。門限ズのワークショップの度に、「銀河鉄道の夜」のある一場面だけが取り上げられ、そこを演劇やダンスや音楽を通して解釈する。一人で読むときには考えなかったような様々なイメージが、立ち上がってくるのが面白く、宮沢賢治を理解したり誤解したりしながら、立体的に鑑賞できるのが、ワークショップの面白さだと思う。

 

午後は、門限ズのダンス担当のえんちゃん(遠田誠)のダンスワークショップ「鳥を捕る人」。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」に出てくる謎の人物「鳥を捕る人」の鳥を捕る方法を想像し、サギが着地する仕方を想像し、ダンスのシーンを作っていきました。

 

その後、高校の合唱指導者の竹田さんとの打ち合わせの後、白兎ウインドハーモニーという吹奏楽団との打ち合わせ。吹奏楽の練習も見学し、そこで、野村の鍵盤ハーモニカイントロダクションや、倉品淳子の一人芝居も披露した。こうした地元の音楽団体と関わりが持てるといいな。

 

ということで、11月2日、3日に鳥取で行う公演のタイトルが、そろそろ決まりそう。これは、いわゆるオペラでも、ミュージカルでもなく、住民参加音楽劇と言って想像するものを遥かに超越した実験になるだろう。門限ズがせっかく関わるんだから、いろいろな面白いことをするだろう。説得力がある面白い実験にするのが、ぼくらの任務であり、参加する人々の個性を最大限に活かすこともぼくらの任務。そして、型にはめようとせずに、そうした個性や創造性を最大限に活かした面白いパフォーマンスに構成していきたい。そうした舞台の実験を続けていく気持ちを忘れずに、やっていきたい。

 

 

新・新世界交響楽をつくる

鳥取に移動。門限ズ(=野村誠+遠田誠+倉品淳子+吉野さつき)が鳥取に集合。鳥取銀河鉄道祭の木野さん、野口さんと打ち合わせの後、夜は野村誠のワークショップ「新・新世界交響楽」。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中に、「新世界交響楽」が聞こえてくるという場面がある。おそらく、ドボルザーク交響曲新世界より」のことだろう。ということで、今日のワークショップは、ずっとドボルザークを題材にやった。

 

まずは、交響曲の4楽章の構造を説明して後、第2楽章の有名なメロディーの替え歌をつくり歌う。続いて、第3楽章の主題のリズムを、ボディパーカッションでやって後、楽器で演奏。これを、カメラマンやダンサーを指揮者に見立てて合奏。第1楽章の第1主題と第2主題のメロデイーのリズムを抽出して後、短調長調の違いを打楽器で表現してみる。最後は第4楽章の有名なメロディーに合わせて、楽器を奏でながら歩き出すフィナーレ。以上を全部やって後、倉品さんの「銀河鉄道の夜」の朗読に合わせながら、1−4を通して演奏。クラシックの楽曲を題材にワークショップをするなんて、ぼくにとっては稀有な機会だったが、これで、鳥取では、誰でも「新世界」ができるようになったので、11月の公演に向けては大きな収穫。

70歳の巨匠が泣き崩れる

70歳の巨匠が泣き崩れる話。Joseph N. Straus著「Stravinsky's Late Music」という本が、Cambridge University Pressから出ている。今日は、移動中にこの本を読んでいた。作曲家のストラヴィンスキーの晩年についての本。1913年に「春の祭典」を作曲した大作曲家は、それから30年ほど経った1940年にアメリカに亡命し、1952年の70歳の時に、シェーンベルクウェーベルンの音楽を聴いて、愕然として、もう自分はどうしていいかわからない、二度と作曲できないと言って、泣き崩れた。そうした危機を乗り越えて、70代になってから、シェーンベルクの12音技法を取り入れた作風に大転換した。大転換後の細かな技法上の分析の本。

 

で、面白いのが、まず、70歳の巨匠が泣き崩れるきっかけを作ったのが、20代の若者だということ。前衛音楽の指揮を活発に行っていたロバート・クラフトは、23歳の時に初めてストラヴィンスキーに手紙を書く。以降、ストラヴィンスキーにインタビューするなど、晩年のストラヴィンスキーの言葉をたくさん残している人物。ストラヴィンスキーは、シェーンベルクウェーベルンの音楽に関して、情報をほとんど持っていなかったが、この20代の若者が色々な情報を与える。それによって、シェーンベルクウェーベルンの音楽に触れる機会を持ち、ついには自信喪失し泣き崩れてしまう。70歳の巨匠が、「春の祭典」の作曲者が、そんなことができるのかと思うと、愕然とする。泣き崩れた上に自分の過去のスタイルに回帰するのでなく、作風を大転換するのも凄いと思う。

 

On the way home he (Stravinsky) startled us, saying that he was afraid he could no longer compose and did not know what to do. For a moment, he broke down and actually wept...He refered obliquely to the powerful impression that the Schoenberg piece had made on him, and when he said that he wanted to learn more, I knew that the crisis was over; so far from being defeated, Stravinsky would emerge a new composer.

 

という読書がいろいろできたのも、移動がいろいろあったから。今日は、鍼灸に行き、体の調子を整えてもらう。帰宅後、この1週間の旅でたまった洗濯物を大急ぎで洗濯し、日本センチュリー交響楽団のマネージャーの柿塚さんと打ち合わせ。12月の小川和代さんヴァイオリンリサイタルの件、4月の香港の件、6月の豊中での「ノムラとジャレオとサクマの問題行動ショー」の件など議題は多数。その後、ピアノに向かう時間が30分。「十和田十景」の作曲作業、少しメモ。その後、2ヶ月のタイ滞在から本日帰国したやぶさんと4月のイギリスに関する打ち合わせ。これで、来週に出発するヨーロッパに持っていく楽器確定。その後、砂連尾さんと、6月の「問題行動ショー」の打ち合わせ。楽しみ。その後、大阪音大の井口先生のお宅での庄内ワールドミュージックバンドの打ち上げ餃子パーティー。邦楽の菊武先生、シタールの田中先生、ガムランの小林先生とワイワイ楽しいひと時。昨年12月の中国でのコンサートの様子を固定カメラで撮った映像を見て、たった3ヶ月前なのに懐かしく思う。また、このメンバーで色々やりたい。帰宅後、明日からの鳥取滞在に向けて、荷造り準備。

 

 

「ある晴れた日のゾボップ」、「あんこはわんこ幼稚園」を作曲

福岡から京都に戻る。

 

帰宅後は、ピアノ曲集「十和田十景」の作曲作業。難易度の易しい小品集にするつもり。ピアノ小品集は、2009年の「福岡市美術館」(21曲)、2012年の「静岡県立美術館」(11曲)、2013年の「アーツ前橋」(9曲)、2018年の「日本民謡集」(12曲)などがあるが、これらの小品集よりも、今回は断然簡単に弾ける曲集にしようと思っている。

 

1曲目の「ある晴れた日のゾボップ」を作曲し、譜面を浄書。これはA4で1枚。続いて、2曲目の「あんこはわんこ幼稚園」を作曲し、浄書。こっちは、A4で2ページになった。どちらも非常にシンプル。今回は、できるだけ簡単に弾ける曲にして、多くの人が弾いてみようという気になる曲にしたい。

 

「福岡市美術館」を作曲して10年

新幹線で博多まで移動。福岡市美術館が3月21日にリニューアルオープンする。5月18日に開催する「ノムラノピアノ×福岡市美術館」に向けて、会場下見。

 

福岡市美術館では、開館30周年の2009年に、ワークショップ「コレコネ組曲」を開催し、このワークショップで生まれた音楽をベースに(ポストワークショップ作品として)ピアノのための21の小品「福岡市美術館」を作曲した。21のピアノ曲は、21の美術作品と対応していて、それらは全て福岡市美術館の所蔵作品で、これまで様々な場所で弾いてきたし、様々なピアニストが世界各地で演奏してくれた。

 

1 房州海岸

2 作品

3 ルーレットNo.1

4 正方形に捧ぐ ”森の静寂”

5 泰西風俗図屏風

6 死んだ花の思い出のために

7 偶然の墓碑

8 絵物語Ms. and Mr. Rainbow

9 仰臥裸婦

10   死と復活Ⅰ(自殺者)

11  ゴシック聖堂でオルガンを聞いている踊り子

12  福岡市展望

13  ただよへるもの

14  茨の経

15  皮膜2004ー蜜色の奥底に

16  騎手

17  獺図

18  春日社寺曼荼羅

19  紅い羽状

20  百鳥図

21  日光菩薩立像

 

これら21曲を、5月18日に福岡市美術館で全曲演奏するだけでなく、開館40周年に合わせて、新たに福岡市美術館所蔵の美術作品に基づく新曲を書くことになった。候補にあがった美術作品は、例えば、以下のような作品で、洋画も日本画も古美術も彫刻もある。この中から何曲かを作曲して、5月18日に世界初演する。どんな音楽になるのか、ワクワク。

 

サルバドール・ダリポルト・リガトの聖母」

横山操「溶鉱炉

ジャン・フォートリエ「直方体」

マーク・ロスコ「無題」

ジグマール・ポルケ「Nessi Has Company II」

山善夫「言葉は海へ」

サラ・ルーカス「ラヴ・トレイン」

仙厓義梵「凧あげ図」

景徳鎮窯「五彩魚藻文壺」

「コブウシ形土製品」

野々村仁清「色絵吉野山図茶壺」

田部光子「たった一つの実在を求めて」

吉田博「瀬戸内海集 帆船」

 

ということで、展示室をグルグル何周もして、いろいろ作品を見る。「新・福岡市美術館」という曲集を5月に作曲することになるだろう。夜は、美術館の皆さんと楽しく交流。

 

 

高山明の演劇 東日本大震災から8年の日

町は劇場だ。劇場は町だ。どこでもが劇場だ。演劇空間は、どこにでもある。20年前、老人ホームで共同作曲を始めた頃、そこでのお年寄りたちの会話があまりにも絶妙で、どんな現代演劇を観に行くよりも面白く、仰天した。

 

今日は、Shibaura Houseという所で、報告会という名の演劇を観に行った。「新・東京修学旅行プロジェクト:福島編」の報告会。主催が Port B、企画・構成が高山明で、出演が9名の高校生、レクチャーパフォーマンスが佐藤朋子。

 

東京と福島の高校生との東京観光の報告。高校生を集めて、オリンピックや放射能や戦争や差別やレッテルなど、いろいろな仕掛けをした張本人が現れる。名前を名乗らないが、高山さんの役をやっている俳優だろうか?それとも、高山さん自身であろうか?それは、語られない。文脈から、高山さんご自身であろうと判断する。

 

高山さんは、自分の仕掛けの生み出した気まずさの中で、気まずい、気まずい、居心地が悪い、と連呼し、一人もがき苦しむ。その苦しむ高山さんは、時にはマイクを使わずに話し、観客には聞こえたり聞こえなかったりする。高校生は、常にマイクを使って発言する。それを、入場料をとって、報告会として鑑賞する、という演劇。

 

もし、この会をスムーズに進行させたければ、ファシリテーターを置けば良い。高校生と高山さんをつなぐつなぎ手を設置すれば良い。しかし、そんなことをすることで、気まずさを隠蔽することだけは、絶対にしたくない、と高山さんは思っているだろう。だから、高山さんは、ずっと「気まずい」、「居心地が悪い」という言葉を言い続けながら、その場に居続け、自らがもがき苦しむ姿を観客に見せる。それが、どれくらい自覚的にやっているのかは不明だが、おそらく、それが彼の手法であり魅力なのだろう。ぼくは、高山明の演劇を他に知らないから、あくまで今日の印象だけで語る。今日の演劇を見る限り、「いかにファシリテートしないか」、それこそが高山明の演劇の本質で、「気まずさ」こそが、演劇である、と信じているに違いない。そして、この「気まずさ」に蓋をして日常を送っている人々に、「気まずさ」を提供すること、それは彼の使命に違いない。

 

というわけで、東日本大震災から8年目の日、気まずい演劇を味わった前後に、JACSHA(日本相撲聞芸術作曲家協議会)の里村真理さん、樅山智子さんとミーティングをした。東日本大震災の起きた8年前の3月、大相撲が不祥事があって、大阪場所を開催しなかった。大相撲は興行だが、大地を鎮める儀式でもあると思っていたので、何か大変なことが起きるのではないか、と心配していた。単なる偶然の一致かもしれないが、大震災が起こった。それから、気がつくと、ぼくは四股を踏むようになった。町も劇場であり、劇場が町であるように、町は土俵であり、土俵は町であるだろう。辻相撲もあれば、村相撲もあれば、神事相撲もある。新幹線を待つうプラットフォームで200回四股を踏んでから、びゅーーんと京都に戻り、8年目という日が終わった。震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、生き残っているぼくたちが、四股錯誤してきた2010年代も間もなく終わろうとしている。東京オリンピック開催後の2020年代を、ぼくたちはどのように四股錯誤するのか。とりあえず、どんな2029年を迎えたいのかを考え、自分の生き方を見つめ直したい。合掌。